新しいカメラが欲しくなってから、ずっと考えていることがあって。
「絶対にその機種じゃなきゃいけないの?」「そもそもどんな写真が撮りたいんだ?」
頭を整理していたら、写真撮影が好きな理由が出てきたので、ここに書こうと思います。
オリジナリティを出していきたい
写真を撮ることについて、その魅力はたくさんあります。
- 美しい野鳥を撮りたい
- おいしそうなグルメを撮りたい
- スポーツを頑張る子供を撮りたい
- ...
「思い出を残しておきたい」という人もいれば、「近くで見れないものを間近で見たい」という人もいますね。みんな個人個人、好き勝手に楽しんでいます。
ぼくもまた、他の人のそれとは関係なく、好き勝手に楽しんでいます。
内から外に向かって、突き抜けたい
「今見ているモノや景色を、今度はどうやって見てやろうか...」
ぼくはカメラを握ったとき、ほとんどこのことだけを考えています。「普通に生活しているだけでは、絶対に気がつかない見え方があるはずだ!」って。
上下、角度、色味、大きさ…。何かひとつでも工夫しようとしたとき、写真を撮る面白さは数万倍に膨らむと思います。
(『ちょろちょろ流れる森の水』撮影:高尾山六号路にて/OM-D EM-10 14-44mm EZレンズ)
写真を撮るときは、よくある感じの、「うん...綺麗ですね」と言いたくなる写真は正直、あまり求めていません。反対に、「何を感じて撮ったの?」とか「面白い撮り方だね」と言われるような絵を探します。唯一無二の自分、オリジナリティのある自分を、もっと全面に出していきたいんです。
尖りたいとか、目立ちたいといった気持ちとはまた少し違うかな。それは外から見た話です。ぼくはもっと、内から外に向かって、突き抜けていきたいイメージ。
写真撮るという行いは、そのイメージを実現させてくれるんです。
どんな工夫ができるのか
(『モノクロの冷水』撮影:近所のカフェ/GR digital Ⅳ)
カメラの中からレンズが出る。すると、ぼくの中からも“内の自分”が同時に出ていく感覚があります。写真を撮ろうとすると、恥ずかしがり屋な彼も、それならばと言って出てきてくれる。まるで、私の出番だと言わんばかりに。
ありきたりで、なんの工夫もないのは嫌。どんな工夫ができるかを、真剣に考えます。それがまさしく独自性であり、“内の自分”の姿そのものです。
(『夜の伸びる影』撮影:雨の降ったある日の夜/GR digital Ⅳ)
うまくなくてもいい。どんな工夫ができるのか。自分の頭で考えて、たったひとつでも、目の前の景色に変化を加えてやる。それがとても楽しくて、すがすがしいんです。
2つのピントが合ったとき
カメラがピントを合わせるのは、きっと外に広がる景色だけじゃありません。ときおり“内の自分”にもピントが合うときがあります。シャッターチャンスとは、外と内、両方のピントが合った一瞬のことなのかもしれません。
ここでシャッターボタンを押すと、これだ、という写真が撮れます。
(『トンネルの内から、明るい外へ』撮影:高尾山口駅/OM-D EM-1014-44mm EZレンズ)
目を開けているとき、“内の自分”もたいてい、シャッターチャンスを探しています。
カメラを挟んで、外の世界と“内の自分”が一直線上に並んだとき。両者のピントが合ったまさにその瞬間、恥ずかしがり屋な“内の自分”は、とっても自慢げな顔をします。「これだよ、これ!」と、あふれんばかりの表情です。
そのときの快感は、一度味わうとやめられません。
カメラライフ、控えめに言って、最高です。