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3年後の私をつくろう

振り返ったとき、このブログが転機になったと言えるように。そう願っています。

【後編】「良い大学に行ければ、良い会社に行ける」という呪い

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この記事は、【前編】の続きです。

こちらを読んでから、また戻ってきてください。

【前編】「良い大学に行ければ、良い会社に行ける」という呪い - 3年後の私をつくろう

今週のお題ゴールデンウィーク2017」

 

【後編】良い大学に行ければ、良い会社に行ける...?

大学受験

大学受験をするにあたり、親からはお金のことを強く言われた。

それもそのはずである。

私立の理系なんて、学費がべらぼうに高いのだ。1年間の学費は140万円にも達する。

それに比べ、国立大学なら理系であっても、学費は60万円くらいになる。学費が2倍近く違うわけだ。

高校も公立を受験して落ちているので、私としても、親の負担の考えて国立へ進学する気でいた。

 

そのため、高校3年生の夏から冬にかけ、毎日勉強に励んだ。1日10時間くらいは勉強していたと思う

 

そこまでしても、結局、国立大学には届かなかった。

センター試験は7割近い成績で突破できたものの、2次試験で落ちてしまった。不合格である。

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親からは学費のことに加え、浪人はゼッタイ許さないと何度も言われていた。

そのため私立大学も何校か受験していた。受かったらラッキーなレベルと、確実に受かる大学とを、全部で5校ほど受けていた。

 

国立大学は2次試験で落ちたものの、センター試験を頑張ったおかげで、東京6大学に入るMARCHの1つに、センター利用で合格した。

受験した私立大学は、全部センター利用での受験である。私立大学それぞれの傾向を分析し、赤本で受験対策をする余裕なんて私にはなかったのだ。

 

国立はセンター試験+2次試験、私立は全部センター試験1発勝負。

センター試験本番で失敗すると、国立はおろか私立もゲームオーバーである。

まさに「背水の陣」だった。

なんとしてでもセンター試験の7割以上を目指し、対策に時間を費やしたことが功を奏した。

その後、そのMARCHの大学の理系学科に進学し、成績も順調でストレートに卒業できた。

 

ここからが本題

さて、これまでの話は、私の中学校~大学までの、主に勉強に注目した内容であった。

大学から就職するにあたって、その間には就職活動という期間がある。しかし、ここで就職活動の話はしたくない。半ばうつ状態にあったので、思い出したくない...。

 

現在、私は会社で働いている。新卒で入社した建設業の会社だ。

私は常々感じていることがある。それは、

「勉強して良い大学に行ったって、人生には特に関係ないんじゃないか」

ということである。

 

勉強は「生きていく力」にはならなかった

勉強を頑張っても意味なんてない。

良い大学を卒業しても、それ自体には何ら意味なんて存在しない。

 

隠れた意味はあると思う。例えば、集中力が身についたり、興味関心の幅が広がったり。

名のある大学なら、高給取りな家庭教師のアルバイトができたり、良い会社に就職できたりするだろう。(私はできなかったけれども)

だがそれらは、「生きていける」という自信を、私には与えてくれなかった。

少なくとも、現在24歳の私には、そう感じられる。

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「いい大学に行ければいい会社に入れる。それがいい人生につながる」

 

そう考えている人が多い。事実、私の親がまさにそうである。

もちろん、あながち間違ってはいないだろう。また世代によってもまた違うのだろうか。それはわからない。

だが少なくとも、私が親になったのなら、勉強よりも「生きていく強さ」を身に着けさせたいと願う。具体的に言うと話が大きくなるのでここでは言わないが。

もっとも、勉強することがそのまま生きていく強さになるのなら、話は別だろうけれど。どこかで道を外しさえしなければ、その通りになったのだろうか

 

勉強だけできても意味あるわけない。これは正論である。

もっと言えば私は、何も東大とかそこらのハイクラスな大学を卒業していない。ただのMARCHの大学だ。勉強ができる、だなんて言えるレベルでもないのかもしれない。

 

それでもやっぱり、親から「良い大学に行ければ、良い会社に行ける」「MARCHが最低ラインだ。それ以下はまともな会社に就職できない」と、中学生の頃から言われ続けて育ったのだ。

何もわかっていない当時の私には、言い過ぎだと思いつつも、本当にそうなのかもしれないと思うようになっていった。

 

それが今になって、その通りでない自分自身を受け入れるのに、大変苦労する理由になってしまっている。

親からもどう思われているのか、社会人3年目になっても気にしてしまう。

 

前編で振り返ったように、自分なりには頑張って勉強してきたつもりだし、とりあえずMARCHに入学し、悪くない成績で卒業している。それが逆に足枷になり、「頑張ったのに、今はみじめだ」といった、つまらないプライドをも生み出している。

 

親の目を見て会話ができない

「親のせいにしているだけだろ」

きっとそれは正解だ。100%とはいかないが、50%正解な気がする

自然に書いてしまった「気がする」という書き方にも、そんな自分の受け入れられない感情が出てしまっているのが、自分でひどく残念に思う。

 

親を恨んでいるのだろうか。あるいは、親を怖がっているのだろうか。

恥ずかしい話だが、親の目を見れないのである。目を見て会話することができない。

負担だと感じないギリギリのラインは、親の首元だ。そこから上は見たくないという状態が、大学に入学する頃からずっと続いている。

 

GWの明日、帰省します

社会人になってから一人暮らしを始め、GWの明日、実家に帰る。もちろん、両親が住む実家にだ。

明日から、2、3日しか泊まらないつもりだ。

自分の実家なのに、ストレスを感じるなんておかしな話だ。虐待を受けていたとか、嫌なことをされたわけではないのに。

私はいったい何を感じているのか。何がそんなに嫌なのか

 

自分でもわからないまま、GWの明日、帰省しようと思う。

今週のお題ゴールデンウィーク2017」

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