
『覚醒のネットワーク』を読んだ感想です。
私の人生はもっと輝いているはずなのに、全然輝いていない。
自分の人生のはずなのに、どうして自分のものだという気がしないのだろう。自分がいてもいなくても、世界は変わらない。ほんとに無力だ。
どうして、気づくといつも不満ばかり言っているのだろう。あいつのせいだとか、社会が悪いとか。
この本はそんなあなたのために書かれています。
(まえがきより)
『覚醒のネットワーク』を読みました。出版されたのは1989年で、2022年に新装版として再び世に送り出された1冊です。
著者の上田紀行氏が20代の学生の頃、スリランカで悪魔祓いの研究で得た知見をまとめてくれています。そこから現代社会に欠けているもの、とりわけ現代人の無気力感や諦めのような感情がどこから来ているのかを考察し、それは「いのちが分断されているからだ」と語ります。
いのちの分断はどのようにして発生しているのか……それはレッテル貼りが原因だと言います。現代人がごく自然にやってしまっている「レッテル貼り」に気づき、やめていくこと。これによって人々が覚醒し、ネットワークのようにいのちどうしがつながっていく。そんな未来に期待がもてる内容でした。
僕がこの本で一番印象に残ったのは、いのちの分断の具体例としてあがっていた福祉についてです。
老人と接しているボランティアの人から聞いた話として、こんな内容が語られていました。
いままでのボランティアは、老人を見ると「おじいちゃん」とか「おばあちゃん」と呼びかけていた。けれど、そう呼ばれることで傷つく人もいる。
なぜならば、人はおじいちゃんである前に鈴木さんであり、おばあちゃんである前に田中さんだからだ。ひとりひとりみな違い、その人だけの人生を歩んできている。なのに、「おじいちゃん」とか「おばあちゃん」というレッテルを貼ってしまい、鈴木さんや田中さんとして見ようとしない。それはとても残念だ。
あぁ、たしかに。と思いました。
逆に考えると、すごく腹が立つ話です。「おい、そこの若いの」とか言われると、ものすごくイラッとします。そのときの感情は、「若い人というレッテルで同じにするな」という気持ちです。だから、おじいちゃんと呼ばれて傷つく人がいるのは、ある意味当然なのかもしれません。
レッテルで見るのではなく、一人ひとりの存在として見ていく。その態度が大切なのだと思いました。
一方で、その態度が細かくなりすぎると、人を見下したり、あるいは崇拝するような持ち上げ方につながるような気もします。あくまで個別性を重視することが大切なのであって、自分と他人をつぶさに観察してマウントを取る、というふうにはなりたくないですね。
他人との違いがなくても、「これが私です」といえる私になりたい。
そう思いました。