3年ブログ

3年間続けようと思い、現在8年目になりました。ネコ派ですが、最近ゴールデンレトリバーが可愛いくてしかたないです。

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今の私には、何も書けない

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本当はここに、今週読んだエッセイの感想を書こうと思ったのだけれど、まったく書けませんでした。

「うわぁ、何にも書けないよ...」っていう気持ちをキーボードに叩きつけていたら、こんな記事になりました。

約2500文字なので、2500回キーボードを叩きつけたことになります。

 

書けない。ただひたすら、書けない。

PCの前に座ると、途端に書けなくなる。キーボードに手をおいても、1文字もタイプできない。画面には、真っ白なメモ帳が浮かんだままである。

 

どうしたのだろう。

とても静かで、落ち着いている。さっきまでコレ書こうとかアレ書こうとか思っていたのに、何も書けない。

これは今日に限ったことではなく、最近の私はいつもこうである。ブログに手が伸びないのだ。

 

急に、自分がどこにいるのか、どこに立っているのかわからなくなるときって、ないだろうか。

今の私はまさにそんな状態だと感じる。

もちろん、物理的な話ではなくて、精神的で感覚的な話で、だ。

 

数日前から、チェックしているブログも見ず、Twitterもろくに見ていない。

この頃はどうも、ネットに疲れを感じていた。

 

変な話だ。ブログやTwitterでのやり取りが楽しいと感じていたのに、今は逆に、疲れを感じているのだから。

楽しいと言っていたことも、そう感じていたこともウソじゃない。ただ今はどこか、少し離れたい気持ちが芽生えている。

何に疲れているのか

私は何に疲れているのだろうか。

多くの意見が頭上を飛び交う、インターネットという場そのものだろうか。

あるいは、「コレを書こう」「アレも書こう」という気持ちが、少し前のめりすぎたのだろうか。

私自身、よくわかっていない。

 

実はさっきまで、今週読み終えたエッセイ本の感想を書こうと思っていた。

星野源さんの『そして生活はつづく』だ。

そして生活はつづく (文春文庫)

そして生活はつづく (文春文庫)

 

知らない人はいないだろう。テレビやネットをあまり観ない人以外、みんな知っている人気者だ。

ただ私はこの本を読むまで、この人についてあまり知らなかった。

 

ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』で多くの注目を浴びていた。昨年にはあの紅白歌合戦で「恋」を披露していた。

私はドラマも紅白も見ていなかったが、出演していることは知っていたし、今最も人気がある方だともわかっていた。

ただ、ここまで変わった人だとは知らなかった。

この星野源という人間は一体何者なのか。エッセイには、彼のダメさが綴られている。

 

料金支払の請求書はすぐに無くす。鍋料理を食べているとテーブルの上に汁が飛び散ってしまう。学生時代には下駄箱のところでうんこをもらし、何を思ったかうんこを手ですくって壁に投げつけた

 

この人、とんでもない変わり者のようである。

(汚い表現すみません)

 

 

おっと。

たしか文頭で「書けない」という話をした気がするのだが。

本当はここに、そのエッセイの紹介・感想を書きたかったのだ。

ところがさっきも言ったように、PCの前に座った途端、起動したメモ帳は真っ白のままで、書きたい気持ちも内容も揃っているのに、何も書けなかったのだ。

そんな気持ちを思うがまま書いていったら、なんか知らんがここまで来てしまっていた。
 

無理をしていたらしい

ふと手を止めてる。考えてみる。

 

すると、気がついた。きっと今まで、ネット上で動きすぎていたんだろう、と。

Twitterで「マイペースが一番だよ」とか言っていたのも、自分自身を鼓舞したかったからなのだ。

人は自分の気が付かぬうちに、意外と無理をしがちなのかもしれない。

 

ネットの断捨離

昨晩寝る前に書いた、付箋紙のメモを見返してみる。

汚い字で「ネットの断捨離」と書いてあった。

 

ふぅ。ようやく一息つけるそう感じた。

毎日が楽しいとか、ブログをどうしていこうかなど考えていたが、一旦ここでストップしたい。

真正面から見るのはやめて、しばらく横から静観しよう。

 

読み手がいてこそのブログだが、書き手の私がダメなら、書かれた文章もまた、ダメである。

それでも無理やり書いてしまおうものなら、ついに嫌気が差し、ブログの根っこごと捨て去りたくなる気持ちが生まれないとも限らない。それは大変よろしくない。長期的な視点でいる私にとって、これは大変不都合なことだ。

やっと思い出した

さて、と。

私は「あああ~!!」とか「ぎゃー!!」とか、声を荒らげたりはしない人間である。故にこういうときは、心の余分な水分が蒸発するのを、静かに待つのみである。

 

ちょうど今、座っている場所から右を向くと、ベランダが見える。午前中に干した冬物の毛布が目に入る。

朝起きてすぐ、洗濯機に入れて洗ったのだ。ビチョビチョに濡れているから、当然、洗い終わってすぐタンスにいれるわけにはいかない。

キレイにしたければ、洗えば良い。洗ったら、おひさまに当てて干したらいい。ベランダに干した毛布は、夕方になればふかふかの毛布になっているはずである。おひさまの香りのする、気持ちのいい肌触りだ。

 

今の自分も、一度ここで洗濯し、おひさまの光にあてて乾かそう。

さいわい、こうやってなんだかんだ文章は書けてるし、とりあえず更新はできるのだから。

 

私のブログは「地道にコツコツ丁寧に」だ。

これだけは、忘れちゃいけない。