3年後の私をつくろう

振り返ったとき、このブログが転機になったと言えるように。そう願っています。

小林麻央さんから感じたこと

 

ニュースを見て思ったこと。

それは、今の自分の生きていることに対する姿勢が、あまりにも好ましくないことに、今朝気がつきました。

 

後悔のないように生きていきたい

6月24日 朝のニュースを見て

歌舞伎俳優の市川海老蔵さんの妻、小林麻央さんが亡くなった。

 

私の部屋では、毎朝、目覚まし時計の代わりにテレビが自動でつくようにしている。今朝はこの訃報で目を覚ました。

身体を半分おこして、メガネを手に取った。ベッドの中からテレビをじっと見つめた。

 

報道を見ていて、思ったことがある。私は自分の生きる姿に対して、「あまりにのんきである」ことに気がついたのだ。

別にのんきに生きていること自体が悪い、とは思っていない。特に考えず、成り行きに任せた生き方もまた、人生としてはアリだろう。しかし、今の自分の生きていることに対する姿勢が、あまりにも好ましくないと感じてしまった。

 

幸か不幸か、思えば私には、人の死を身近に感じたことが今まで一度もなかった。恐れずに言えば、いつも他人事だった。ところが今朝のニュースを見て、他人事ではないと思った。ベッドから出た後も、しばらく腕を組んだ。無意味に床をじっと見つめてしまった。

 

いつまでも健康でいられるとは限らない

こんな当たり前のことを、小林麻央さんの死は、私の心を強く揺らした。

生きるとは、人生とはなんぞ

私はあまりにのんきなのだ。

なぜなら、自分はこのまま元気でいられて、健康であり、大きな病になるかもしれないなんて、考えていなかったからだ。

健康な人の中で、これをいつも意識して生活している人は、実際にはあまりいないかもしれない。ただそうであっても、この私はそのことを、あまりに考えてなさ過ぎるように思えて、仕方がなかった。

 

程度にもよるが、人生には突如として訪れる出来事がある。

麻央さんの場合はガンだった。他の人なら、それは交通事故であったり、精神病あったりするだろう。

「マズイかな危ないかな…」。私たちはそう思った瞬間があったとしても、案外簡単に無視してしまう。

赤信号でも道路をわたり、駅のホームでは歩きスマホをする。人間ドックには行かないし、精神的に圧迫されていても、身体を引きずって出勤する...。

 

悲しいことに、いざそうなってみて初めて気がつく。自らの前に突然現れてから、ようやく本気で考え始める。もっとも、これだって「その後に生きる時間があれば」の話だ。交通事故やテロに巻き込まれては、気がつく時間すらない場合もある。

日々を大切にして

小林麻央さんの訃報は、多くの人に影響を与え、自身を省みるきっかけを与えるだろう。

私も同じだ。ここでこの話を書いた理由は、自身の生きることに対する、あまりにのんきな姿勢を正そうと思ったからだ。

 

生き急ぐことはしたくない。このブログのタイトルにもあるように、私は3年後の私をつくりたい。

地道にコツコツ丁寧に。この行いを続けていれば、やがてどこかにたどり着くはずだ。3年かけてゆっくり、しかし確実に心を上向かせていこう…。そう思ってつけたタイトルだった。

 

だが、あまりに悠長でいるのも違うのかもしれない、と思った。なぜなら、3年後はもちろん、3日後であっても、毎日のこの時間の延長であることに他ならないからだ。

日々は毎日の積み重ねであること。

これは絶対的に正しいことなのに、自分の中から漏れ出ていたことに気がついた。今以上に、日々を大切にしなくてはならない。

今感じていること。考えていること。やりたいこと。

これらを毎日見つめ直し、後悔のないように生きていきたい。

 

小林麻央さんへ。

私が今朝感じたことは、きっと一生忘れられません。

ご冥福をお祈りします。

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