カミュの『シーシュポスの神話』を読んでいる。
読者のもんさんに紹介していただき、図書館で取り寄せた。
まだ冒頭の数章しか読めていないけれど、そんな中でもとても印象的で、ものすごく共感してしまったところがあった。
以下、その内容。
日頃の生活には倦怠感があり、そこに気がついて「なぜ自分がこんなことをしなきゃいけないのか」という問いが始まる。それは「なぜ生きていなければならないのか」というふうな疑問にまで深まっていき、究極的には生きるのか死ぬのかの2者択一となる。
ここに、僕自身の心の揺れ模様が言語化されているように感じた。
難しい話が語られているけれど、たまにはこういう歯ごたえのある本を読むのもいい。
理解しながら読み進めるのは難しい。したがって、はじめはザーッと読み進めて全体像を把握するほかなさそうだ。
それはある意味で、何度も読むに値する1冊ということかもしれない。
生きたいと死にたいが、ごちゃまぜになって頭のなかにある。
時によってどちらかが優勢になり、しばらくのあいだ勢力を拡大する。たいてい数週間たつと、その ”戦模様” は入れ替わる。
病院にいったほうがいいかもしれない、とも思うけれど、行っても仕方ない気もしている。日常生活に支障をきたすレベルならともかく、そこまででもないから。それに、薬はあくまで表面的で一時的な処置であって、持続性のある生きていく力にはなりえない。
僕が病院に通うなら、後者のためになる。すなわちそれはカウンセリングだとか、〜療法といったもののために通院したい。
いま気になっているのは認知療法というもの。物事への認知の歪みを最適化していく試みだ。
これにより、変えられない過去やまだ起きていない未来のことについてだったり、今発生している問題への姿勢が変わることが期待できる。
けっきょくのところ、自分で変えられない部分がこの世のほとんどを占めている。
自分に変えられないことは変えられない。でもその受け方は変えられる。そういうアプローチの仕方で生きていく力を身につける必要が、自分にはあるような気がした。