気づきをもたらすことって、良いことだなって思いました。
最近に限ったことではありませんが、なんとなく無意識的に、その人の転機になってくれるような言葉やなにかを伝えることを積極的にしています。
ブログのコメントで「気づかせてくれてありがとう」といってくれる人がいたり、お問い合わせフォームやTwitterのDMにその旨を書いて送ってくれる人もいて。
思えば昨年も、私は長野県で住み込み生活をして働いてたときにも、ほかのスタッフの話をよく聴いていました。ただ話を聴くだけではなくて、本人が気がついていない価値や意味を伝えようとしていたのだと、今になってみてみてわかりました。
言ってあげるとか、教えてあげる、といった言い方や表現はあまり好きではないのですが、昨年こんなことがありました。
その人は得意なことがたくさんある人で、絵もうまいし写真も上手、おまけに英語もペラペラで友人も多い。野草に詳しく、身体にいいハーブなどの知識も豊富でした。
ところがその人がいうには、「自分ができることは、すでにもっとできる人がたくさんいる。自分はなにか1つ”これ”といったものがほしくてずっと悩んでる」のだそうです。
その時の会話はカウンセリングではなく、あくまで普通の会話です。なのでアドバイスのような話をしました。まとめると、
「いくつかのスキルを組み合わせたら〇〇さんにしかできない行いになるし、それが仕事になったりだとか、他者から求められるポイントになってステキだよ」
といったことを話した気がします。そのときの相手の笑顔は今でも覚えていて、やはり冒頭と同様の返事をもらいました。「気づかせてくれてありがとう」って。
気づくことがすべての始まりなのだと、多方面でそう思います。
写真を撮るときだって、被写体に気が付かないと撮れないし。
「なぜ雲があるのか」「なぜヘビは前に進めるのか」そういう疑問だって、当たり前に気づく必要がある。
働く意味、生きる価値。そういうのだって、自分の価値観だったり世の中の変化、いま置かれている状況に気が付き、理解することが重要でしょう。
その気付きが大きなものだったりすると、人は転機を迎えるのだと思います。逆もいえますね。転機を迎えたときって、なにかに気がついたときなのかもしれません。
私は現在転職活動中ですが、キャリアコンサルタントの人と面談を繰り返すなかで、自分のコアについ先日出会うことができました。それが「人の転機に携わりたい」という思いでした。
人生の転機として、たとえば就職、家を買う、結婚、葬式……などがありますね。私はこのあたりでこれから働きたいなと思いはじめました。
振り返るといまに始まった話ではなく、昨年からキャリアコンサルタントの勉強をしていて、これは職業選択を支援する仕事につながります。ほかの職種だと、不動産の内見を案内する人とか、結婚相談所とかもなんとなくいいなと感じていました。
それら全部が、どうやら転機に携わりたいという価値観から発せられていたようです。自分でもそういうふうには気がつけませんでした。
これは気が付かせてくれたという経験です。
してあげられたり、してもらったり。
両方を考えると、気付きとは本当に大切なことなんだと感じずにはいられません。
それを意識して、人の転機に携わる仕事ができたらいいな。
仕事を越えて、そういう在り方で生きていたいと思いました。
▽こんな写真を撮ってます
— Masato.N (@omoidegraphy) April 23, 2022