積読していた小説『銀の匙』を読み終え、その感想を書きました。
子供時代にみた風景、身体で感じた季節の描き方がとても好きです。
中勘助『銀の匙』を読み終えました。
— ぬこ@ブログとカメラ (@3years_book) 2018年7月4日
今感想をブログに書いてます。ふだんあまり手に取らないようなジャンルだったので、とても新鮮でした。
次は何読もうかな。。 pic.twitter.com/CODvr9LWJJ
あらすじ
木でできた小箱には、小さい頃の思い出の品が入っている。なかでも銀色の小さじがお気に入りだ。
主人公は、伯母さんとすごした少年時代を思い出す。見た風景に聞いた音、学校での出来事など。2度と戻ることのできない古びた懐かしい世界があった。
あらすじは絶対引用しないというマイルールのもと、いつも自分の言葉で書いています(ヘタですみません)。
しかしながら本書の醍醐味は、筆者による少年時代の感情の描き出し方。こればかりは引用させていただこうと思います。
子供時代の記憶をたずねて
物語はつねに、私(主人公)の一人称で描かれています。夏の季節はこうだ、学校でこんなことがあった、隣に引っ越してきた子がどうだ、などなど...。
そんななかでも、特に気に入ったのは風景や季節の描写です。タッチがとても優しくて、現代にはない空気が行間から漂ってくるようにも思えます。
以下、引用です。まずは季節に関してから。
夏のはじめにはこの庭の自然は最も私の心を楽しませた。
春の暮の霞にいきれるような、南風と北風が交互に吹いて寒暖晴雨の常なく落ちつきのない季節がすぎ、天地はまったくわかわかしくさえざえしい初夏の領となる。
空は水のように澄み、日光はあふれ、すず風は吹きおち、紫の影はそよぎ、あの陰鬱な槙の木までが心からかいつになくはれやかにみえる。
もうひとつ、この続きを紹介します。寺の子共“貞ちゃん”とすごした時間です。
そんなときに私は小暗い槙の木の蔭に立って静にくれてゆく遠山の色に見とれるのが好きであった。青田がみえ、森がみえ、風のはこんでくる水車の音と蛙の声がきこえ、むこうの高台の木立のなかからは鐘の音がこうこうと響いてくる。
二人は空にのこる夕日の光をあびてたおたおと羽ばたいてゆく五位のむれを見おくりながら夕やけこやけをうたう。たまには白鷺も長い脚をのばしてゆく。
優しくて淡い、そんな雰囲気のある文章です。とても気に入った2節でした。
物語としては、たんたんと子供時代の話が続いていきます。以前読んだ『水滸伝』とくらべたら、それはもう起伏がなく平坦で、朝の時間もあいまって眠くなってしまうことも。それでも後半にさしかかるにつれ、徐々に心があたたまってきてすぐに読了です。
さいごに
今回は中勘助『銀の匙』の紹介でした。
本の終わりの解説にもありましたが、この作品は「子供目線で描かれた子供時代の記憶」です。いっけんするとなんてこともない内容にも思えますが、描くには大変難しいようのだとか。
わたしたち大人の思い出す子供時代とは、やはり「大人目線」になってしまいます。自身が子供だったとき、「自分が親だったらこんなこと言わないのに」と思ったことが何度もありますが、みなさんもきっと同じでしょう。
ところがいざ自分が親になったとき、おそらくそれを繰り返してしまうのです。そのように、いつのまにか大人は子供目線を失ってしまうのでしょう。
失われた子供目線が、『銀の匙』には生きているのです。
ではでは。