11日ぶりの投稿になります。ぬこです。
前回は、どうしていいかわからず必死に書きなぐりました。
今回は、そんな先週からどうなったのかをお話していこうと思います。
多くの人から励ましの言葉をいただきました。感謝しております。また、それ以降の更新が途絶えたことで心配してくださった方もおり、同時に申し訳なく感じております。
それでは、体調の話や考えたことを中心に話していきます。
体調は比較的回復したが…
11月終わり頃から、毎朝吐き気がありました。仕事のない休日は平気で、平日の朝のみ症状が出ます。
その体調不良ですが、ここ数日で徐々に良くなっています。平日は必ずあった吐き気は、今では5日中1日~2日にまで落ち着いてきました。
そうです。治ってはいません(^_^;)。
さっぱり治るなんてことはないんですよね。精神面から来る体調不良は、とても治りにくいものです。死ぬまで付き合っていくことになります。
良くなってきているとはいえ、まだ安心はしていません。
たとえば今週は、月曜日の朝が危険でした。目が覚めた時点で気持ちが悪く、立ち上がるとクラクラするほど。
薬を飲んで、午前中休んで午後から出社しました。それから今日に至るまでの5日間は、毎朝を含めて何ともない状態が続いています。
根本にある原因はなにか
毎朝の吐き気とめまい、また引きずるような身体のダルさと重さは減ってきました。
でもそれって、例えるならニキビみたいなものだと思うのです。
小さいときは気にしなくても、数日経つと治るじゃないですか。でもちょっと大きかったり白く膿んでいるときって、潰しちゃったりしません?
で、しばらくは治ったように見えて、また大きくなり始めて…。この繰り返しです。
それと少し似ていて、溜まったもの(主にストレス)を一時的に処理しても、けっきょくまた大きくなって戻ってくるんです。しかも次はもうちょっと大きくなってて、しかも痛い。
根本にある原因を叩かなければなりません。ところが、薬はあくまで表面上の処理にしか役に立ちません。問題は、自分の心の奥底にあることがほとんどです。だから、さっき一言「溜まったもの(ストレス)」と言いましたけれど、それが具体的に何なのか、しっかり見定めないと苦しいままです。
内側からの圧迫
今回の体調不良も、一言でいえばストレスのせいでしょう。しかし、昨年のそれとは意味がまったく異なります。
1年前の体調不良は「外側からの圧迫」によるものです。周りの環境にうまく合わせることができず、適応できなくなったことが原因でした。「適応障害」という診断名でして、半年間休職しました。
しかし今回はまるで別物です。周囲からの圧迫がほとんど思い当たらないという点が、以前と決定的に違います。
人間関係も悪くないし、仕事内容も問題ない。定時に帰れて、土日もきちんとお休みです。だから、ストレスは外から来ているのではありません。
つまり、「内側からの圧迫」なのです。自分で自分に負担をかけているのだと思います。
ではどうしてそんなことになったのか。仕事にストレス要因が見いだせないのに、なぜ平日だけ体調が悪くなるのか。
仕事がずっと「仮」のまま
仕事について思っていることを赤裸々に語ります。
今の仕事はずっと続けたいとは思っていなくて、かといって転職したい先もない状態です。
だから、やりたい仕事が見つかるまでは今の仕事を続けるべきです。どうしたって、生きていかなきゃいけませんから。ただ、そんな「仮の状態」がイヤなんですね。しばらくは良くても、「お前、ずっと自分にウソついてるだろ」って。
もらえるお金が減ってもいいから、やりたい仕事がしたい。ところが、そのやりたい仕事がイマイチわからない。いえ、あるにはあるのですが、「それ、本気でできるの?」という質問に返す言葉がありません。
「あるにはある」といったって、全然定まっていません。写真を仕事にしたいと思えば、趣味とは異なる熱意、責任感を持てるのか。写真の専門学校も考えました。けれども、それではただ安全地帯に逃げ込んでいるだけになります。
趣味のカメラから離れて考えみても似たような結果です。
まず同業種では意味がありません。このままでいいわけですから。異業種といっても、何がしたいのってところです。やりたいことはありますけれど、それを仕事にするとなると、途端に話が変わります。
自分には「これができます!」みたなアピールポイントがないし、あっても「それはウソつきだ!」と脳内で一喝されて終わりです。
けっきょくのところ、同じ円の中をグルグル回っているだけです。だから、どこにもたどり着かないし、疲れ果てていくのみです。意味がないどころか、やらない方がいいくらいです...。
自分の中にしかないから
答えは自分自身の中にしかありません。そう思っています。
他者から与えられる場合、たとえば話を聞く、本を読む、といったことも考えられますけれど、それは答えが外にあるわけではないんです。自身の中に、その事柄と反応する何かがあったからこそ「それだ!」になるわけで。
だから、いつだって答えは自分の中にしかないと思っているし、手元にあるものだと思っています。
「強く求めるものにこそ、それは必ず与えられる」
引用元は、パウロ・コエーリョの『アルケミスト』という小説からです。
毎年、年末年始にこの本を開きます。なぜ毎年読むのか、そこには明瞭な理由はありません。ただ、これは何度も読んで身に染み込ませたほうが良いだろうと、ただそう感じるからです。いわば、バイブルのような1冊です。
わたしは、つねに“何か”を求めています。探求しています。探しているのであり、その性質上どうしても「これじゃない」という気持ちが排除できないのです。
現状に満足しない(できない)ため、「向上心がある」ともいえます。ただ、それが今回裏目に出てしまいました。身体の調子が悪くなるほどまでに。
絶対に、自分の中にあるはずなんです。
すでに“何か”は手の中にあり、足元に落ちているはずなんです。もうずっと前からそれを見ているし、ずっと前から知っているはずなんです。でもそれが何なのかがまだわからなくて、わかりそうでわからない状態が続いています。
それに気がつけるか否か、それが根本の問題です。
3つのカギ
鋭く尖ったものは、その扱いこそ上達すれば、強力な武器になるはずです。
ここ最近の体調不良は、求める精神をむやみに振り回してしまったために起きたことだと感じています。ですから、これは扱い方が間違っている証拠です。同時に自分を傷つけるほどの威力があるに違いありません。
今のわたしにとって必要なのは、「没頭」「瞑想」「運動」。この3つがカギになっている気がしています。本当にカギになっていて、ドアの向こうにその“何か”があるような感じ...?スピリチュアルすぎる思考かもしれませんが、そんなイメージです。
また、この3つは「潜り込む」という意味で同じです。
「没頭」は、実際の行いを深め、無目的にひたすら突き進んでいくこと。無我夢中というのは、己の中に潜り込むことに近いと感じます。
「瞑想」「運動」は、何も考えず、心の中で引っかからずに深層心理に潜り込むこと。運動することは健康にも良いですから一石二鳥です。デスクワークなので、むしろやらないとマズイくらい。(^_^;)
実際の行いを深める「没頭」について、わたしの場合はカメラが該当します。けれど、それ以外にも何かやってみたいと思うようになりました。できればカメラ、写真とは離れたほうがいいです。関係性が離れている方が、面白いアイデアに結びつくかもしれませんから。
何が良いですかね。最近、「絵でも描いてみようかな~」とか思っています。ヘタですけれど。
最後に
そんなわけで、気持ち的には確実に前進したと感じています。
ただ、まだ体調が不安定なことも無視できません。しばらくはデコボコ道が続くことになりそうです。
ご心配をおかけしてしまい申し訳ありませんでした。また、心配してくれる人がいることに、救われる思いでいっぱいです。
今後のわたしの生活としては、上の3つ「没頭」「瞑想」「運動」を実践していこうと思っています。ここまで書き進めて気が付きましたが、「3年」とか「3つ」とか、わたしは3という数字が好きなんですかね。覚えやすいというだけなような気もしますが…自分のマジックナンバーになったら嬉しいです。
ではでは。