3年ブログ

3年間続けようと思い、現在8年目になりました。ネコ派ですが、最近ゴールデンレトリバーが可愛いくてしかたないです。

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日記ブログで多くの人に読んでもらうのはめっちゃむずい

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ブログの更新が途絶えはじめました。ぬこです。

今回は、わたしが書けなくなってきた原因と、他の人のブログを読んでいて思ったことがリンクしたときのお話です。

話の結論は、この記事のタイトルです。

ただの日記なのに全然違う 

このブログの更新が少しずつ滞ってきましたが、フォローしているブログは毎日読んでいます。

上のツイートは今日の夕方のものですが、考え自体は数日前から感じていたことです。

 

このブログが雑記ブログ、または日記ブログであるように、わたしもまた似たようなブログを多くフォローしています。

その中でも、グッと心をつかんで話さない雑記や、ときには数行の文章に、まるでハードカバー1冊分の厚みすら感じる日記もあります。言葉選びや語順のリズム等、見習えないレベルに触れることができるのもまた、ブログの楽しい魅力ですね。

ところがそれらとは反対に、似たような日記ブログなのになんだか物足りないというか、軽すぎる記事もみかけます。

内容そのものは、1人の人間の感じた事柄である、という点では全く同じです。驚く体験をしたわけでもなく、両者ともに「普通の日常」を書き出しているのもほど同じでしょう。なのにどうして、感じ方がまるで違うのか。ひょっとして自分のブログも、めちゃめちゃツマラナイのではないか。

そんなふうに思いました。

 

そこでツイートの内容に戻ります。

わたしなりの今の結論としては、「何をどう書くか」という答えに落ち着きました。鋭くも新しくもない意見ですみません。

日記は日記でも、たとえば以下のようなことを盛り込むといいのではないかと考えました。

  1. あなたが本当に感じていること、思っていること
  2. 書き手と読み手が逆になるほどの共感

2つ思い浮かんだので、下にちょこっと書き加えていきます。

①“あなた”が書くこと

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キレイすぎる必要はないのだと思います。しかし、読者によせていくと、次第に書きたかったことが薄れていくように感じることも少なくありません。

みんなに見てもらおう、読んでもらおうとする気持ちはわたしにもあります。しかしながら、いつのまにか気持ちだけが肥大化し、書く意欲が圧迫されている...なんて状態になることがあります。えぇ、今のわたしです。

 

読み手に合わせること。これが悪いとは1mmも思っていませんが、相性なのか、ブログを書く理由にも関わってくるのでしょうか。

いろんな方向へ考えられるので一概にはいえませんが、特に「ひきつけられる日記ブログ」とは、えてして万人受けを狙っているようには感じないことが多いです。

②強い共感

まるで、読んでいた人が「自分が書いたんじゃないだろうか」と錯覚するような内容であること。

共感には他にも解釈があるはずですが、印象的なのはこれくらい強いレベルです。ただし、コレに関してはわたし自身のライティング技術の幼さもあって、説明することすら難しいです。なんとなくふんわり感じただけでこれを書いています。(笑)

さいごに

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今回は読みたくなる日記ブログについての話でした。

ここまで書いてきていまさら思ったことがあります。日記ブログで多くの人に読んでもらおうとしていること。これ自体がそもそもハードルが高いのです。

 

日記ブログを書いている人はたいてい、書く理由の一位が「アクセス数が欲しい」ではないでしょう。ただの日記なのですからね。書くからにはできるだけ、ってくらいの感覚なはずです。だから、いつのまにか多くの人から良く思われるように意識してしまうのは、今回のケースでは逆効果なのですね。

 

記事はここでおしまいになりますが、ここでは具体的なブログの紹介は控えます。

良い面での紹介なら嬉しいでしょうけれど、紹介できなかったブログの書き手としては心地よいはずがありませんから。

ではでは。