PVや収益、そして「読者にとって価値があるかどうか」など。
こうしたことばかり見ていると、いつの間にか息苦しくなってくる。
もっと遠くを
(駅にて。今日の1枚)
一時期、ブログのデザインをどうしようかと考えあぐねていたり、「自分は量より質なんだ!」と意気込んでいたりした。
これ自体は特別悪いことだとは思っていない。ただ、ブログをしばらく続けてわかってきたのが、「どうにもうまくいかないな」ということ。気にするくせに、その割には良い方向へ進んでいる気がしない。逆に鎖になっているというか、ただの重りになっている感じ…。
そんな感情もあって、先日はお茶でもしながら話したいコトというタグを新しく作ったり、その前は質より量だよねという記事を書いた。
いずれも、「もっと気軽に書いたら良いじゃんか」という考えが理由だ。
みんな、すごいよなぁ
「自分と違って、他の人はみんなすごいなぁ」と感じる。
「いやいやあなただってすごいですよ!」と言って欲しいわけではないので、それは大丈夫。
例えばpvとか収益とか。あまり気にしていないつもりだけど、それでも毎日pvは見ちゃう。
今日はたまたま月初めなので、6月の収益報告を上げる人が多い。そういった報告記事を見ては、1人で勝手に落ち込んでいる。これを毎月繰り返している気がする。
収益に関して言えば、現時点ではこのブログ、そもそもはてなプロではないのでほとんど関係ない。それでもやっぱり、「みんないいよなぁ」なんて思ってしまう。
近くばかり見すぎている
…そんな気がした。
近くばっかり、目の前ばっかり、手元ばっかりな気がして、今これを書いている。
わかりやすく、さっきあげたpvの話をしよう。今は記事を更新すると、その日はたいてい200pvを超える。
他の人は...とかいうとキリがない。それで、過去の自分と比べてみる。すると、これがちゃんと右肩上がりになっている。
pvは数字だからわかりやすい。でも着実に右肩上がりなのは、目に見えていないことだったりする。
例えば「意識」。これも何度もブログに書いている気がするけれど、それくらい本当に右肩上がりになっている。
鬱っぽかった心の状態は、しっかり上向いてきた。これは確実にブログのおかげだ。書くことで思考が整理されて、ムダに憂鬱にならない。そしてなにより、他の人とのやりとりが楽しかったりする。仲良くしてもらっている人たちが、たくさんいる。
♢
近くばかりみていると、視界の脇から流れてきた周囲の影響ばかりに、どうしても視線が移ってしまう。
辞めていくブロガーの通っていく道ってだいたい一緒なのよね。結局自分でモチベーション下げて自滅するパターン。それを防ぎたかったらやることは1つ、周りのことは気にせず書き続けることと「切磋琢磨出来る仲間」を作ることかな。今ここで「互助会」を連想した人はアウト。発想が根本から違う
— サキ@はてなブログ3年目 (@nubatamanon) 2017年7月1日
いつもお世話になっているサキさんのツイート。私の言いたいことと少しズレているかもしれないが、言いたいことは似ていると感じた。
3年目の先輩がこう言うのだから、まったくその通りなのだと思う。
視野に入れておくだけでいい
しかし、周囲の影響はガン無視するのもまた難しい。取り入れたほうが良いことだってある。
例えば「読者にとって価値があるかどうか」という基準。これは、一般にブログとは読み手がいてこそなのだから、とても大切な考えだと思う。他人を悪く言ったり、蔑んだりするのは良くないことだ。
ただ、私はもうそんなの忘れようと思っている。きっとこれには2種類あって、意識して出来るレベルと、意識しても出来ないレベルがあるんだと思う。「軽蔑したりしない」といったことは、基本的なマナーなので、意識して出来るレベルだ。自分は最低限これは出来ていると思っている。
ところがそれ以上の価値を求めたとき、どうしても息苦しくなってしまう。読者にとっての価値ってなんだろうか...。半年考えてみたものの、最初に言った通り、よくわからなくなってきた。難しく考えすぎて、ただ足を引っ張るだけになってしまっていた。
もうこうなってしまっては、いったん視点を外すしかないように思える。
常に頭の片隅に置いておくだけで、十分なんじゃないだろうか。そしてふとしたときに、ハッとする。急にコツがつかめる類のように感じる。
近くで見ていなくても、視野に入っているだけでいいのかもしれない。
視線の先は、もっと遠くでありたい。
あとがき
1つ思うことがあった。
これまで、「近くばかり見ているから、一度遠くを見よう」という話をしてきた。そしたらハッとする瞬間がやってくるのではないか、と。
ところが、書いている段階ですでに、まず1つ目の「ハッとする瞬間」がやってきてしまった。
自分はブログを初めてからずっと、3年後という「遠く」をずっと意識していたのだった。
“初心忘れるべからず”
次回は、「だから3年後なんだ」という話をしようと思う。
ではでは。