実家へ帰ってきた今日、急にお散歩したくなって、自転車を走らせました。
幼少期によく遊んだ公園を横切ったとき、ふいに懐かしさに掴まれました。Uターンをして、公園でしばらく腰を下ろすことに。単にボケーッとしていたのではなく、元気よく遊ぶ子どもたちを、ただただ眺めていました。
その公園で、昔よく遊んでいた自分を思い出していたのです。
今回はそんなお話。
人生も、夕焼けと同じ“グラデーション”
遊ぶ子どもに、過去の自分を見た
近所に公園があります。
みんなには「ぞうさん公園」の名で親しまれています。ぞうさんの滑り台がある公園です。
晴れた天気の今日も、親子連れや元気な子どもたちが遊んでいました。
そんな風景を見ていて、こんなツイートをしました。
最近のこの時間はいつも晴天で、風も吹いていて心地いい。
— ぬこ@はてな連邦国加盟中 (@3years_book) 2017年5月4日
地元に帰ってきたが、こちらも天気は良好だ。
急に散歩がしたくなったので、自転車を走らせた。思うがままに進んでいたら、小学生の頃によく遊んだ公園にやってきた。
同じクラスの子たちだろうか、目の前にサッカーを楽しむ男女がいる。
道路にボールが出ないように気をつけながら、砂を巻き上げてサッカーに夢中だ。昔の自分が、彼らの姿と重なる。
— ぬこ@はてな連邦国加盟中 (@3years_book) 2017年5月4日
私も昔は、そんなふうに無邪気に、めんどくさいことなんか考えていなかった。今はどうだろうか。まさか彼らの年頃に、生きていくことに戸惑いを感じるようになろうとは思いもしなかった。
小学生の彼らと、社会人になった今の私。いったい何が違うのだろうか。彼らみたいだった私も今の私も、同じはずなのにどこか違う。つまらない大人になった気がする。
— ぬこ@はてな連邦国加盟中 (@3years_book) 2017年5月4日
「難しいことなんか考えなくてもいい」
大人は子供に言う。子供らしくないということか。大人は、子供に憧れているのかもしれない。
サッカーを楽しむ子供たち。近くには子連れの親と、おじいちゃんが砂場で遊んでいる。見ていてこっちが和んでくる。
— ぬこ@はてな連邦国加盟中 (@3years_book) 2017年5月4日
大人になった。別の生き物にでもなった気分だ。純粋だった私は、過去の記憶だけ残して別物へと変わった。
幼少期を過ごした場所にくると、不思議な気持ちになるものだ。
自分がよく遊んでいた公園です。
元気に遊ぶ子どもたちを、昔の自分を重ねて眺めていました。
前回もそうでしたが、ここのところ私は自己を振り返ることが多くなりました。
ゆっくり呼吸をし、自分は何を感じているのだろうかと、心の中をじっくり見つめています。
きっとそこからは、何も出てきません。何も得られないし、何も学べない。
でも何か引っかかるというか、「まぁいいや」で済ませられないのです。
感傷に浸りたいのでしょうか。自分はただ悲劇のヒロインを演じたいだけなのでしょうか。自分でもよく、わかっていません。
夕焼けをボーっと眺めるように、流れる川をボーっと眺めるように、ただ自分自身をボーっと眺めていたい気分なのです(自殺を考えているわけではありません)。
子どもではなく、大人ではあるが親ではない私
ツイートしているときに考えたのは、「親と子」「大人と子ども」についてです。
大人はやがて親になり、子どもをつくる。その子どもやがて大人になり、親となる。
もちろん大人が全員親になるわけではありません。私が思ったのは、「どこで切り替わるんだろう」という疑問です。
どこかある時点において、あるいはある一線を超えところで大人になる。そういうわけではないでしょう。タバコやお酒、選挙権などは別ですが。
きっとそれは、“グラデーション”なんですね。
こんな当然のことを改めて思ったのは、私が今まさに、中間地点に立っているからだと思います。
24歳。今年で25歳になります。早い人はすでに子どもがいる歳でしょう。私にはまだ子どもどころか、結婚もしていない、いたって普通な20代です。
子どもではなく、大人ではあるが親ではない。
子どもだった頃の記憶は比較的スムーズに取り出すことができ、同時に将来のことを真剣に考える歳です。
自分が子どもだった頃の記憶や感情を思い出し、では自分はどんな大人、親になりたいのだろうかと考える。
それはひょっとしたら、親にならないほうが良いという結論に達するかもしれません。でも反対に、高齢になったとき、子どもを持つ親になっておけば良かったと思うようになるかもしれない。
人生は、きっとグラデーションだ
上の文章で、さっき“グラデーション”と言いましたが、ここで思い出しました。
そういえば、中学生の頃、夕焼けの写真を撮るのが大好きだったなぁ~と。
これは今日の夕方に撮った写真です。
左上に窓枠が写っちゃってますね。実家で夕焼けを見ようとすると、この角度からでないと見れません。
中学生の頃、よく部活から帰宅してはすぐ2階へ走っていき、夕焼けを撮っていました。
夕焼け好きなのは、今でも変わりません。
これは、一人暮らしをしている近所で撮影した夕焼けです。
2つとも、似た空模様ですね。
「どうして夕焼けが好きなんだろう…」
ふと思ったのですが、きっとそれは、「毎日必ず存在するのに、同じ風景は存在しないから」です。
「おひさまが沈むこと」自体は毎日ある。でも夕焼けは、時には曇っていて見えないし、晴れている日でも見え方が違う。季節によってもまた違います。
夕焼け自体も、色が均一ではなく、きれいに移ろいゆくグラデーション。3分も経てばまた別の表情を見せます。同じ瞬間は、後にも先にも2度とない...。
「生きていくことと似ているな~」なんて、中学生のときから無意識のうちに感じていたのかもしれません。
帰りたいけど、...
話があっちこっちに飛んでしまいました。^^;
そんなことを考えていた今日1日ですが、予定では明日、一人暮らしのアパートに帰るつもりです。
実家は、昔の自分が過ごしてきた場所です。たまに帰ってくるからこそ、感じる何かがあります。
前回の記事で触れたように、帰省する前は帰りたくないと思っていたのに。
どうしようかな...
...もう1日、いようかな。