ブログのアイデア整理のため、ノートを見返していました。
昨年のノートを読み返していたら、ブログのアイデアどころか仕事で苦しんでいた頃の記憶が蘇ってしまい、アイデア整理どころではなくなりました。
結論を言うと、「ブログに生かされている」という話です。
苦しかった昨年〜ブログをやっている今
昨晩、仕事から帰宅して寝るまでの間にやっていたこと。それは、ノートやポストイットに書き込んだメモの整理作業です。
毎日何かしらのメモを残すくせに、しばらくそれらを放ったらかしにしていました。
そこで、100均で買ってきた単語帳カードを手に取り、そこに散乱しているアイデアを一つ一つ書き出していきました。
そして今。昨日の続きをしようと思って、今度は昨年使っていたノートを引っ張り出し、パラパラめくっていたところです。
ちょっとつらいというか、悲しい気持ちになってしまったので、ここに書こうと思います。
潰れるまでの過程が書かれていた
このブログでも何度か話していますが、改めて言うと、私は昨年の8月に過呼吸で倒れました。といっても、救急車で運ばれ、点滴をしていたら気分が戻ったので大事には至りませんでしたが。
ただ、それを皮切りに事態が変わっていきます。数日休んでも体調が悪く、結局9月になって心療内科に行きました。適応障害と診断されてから、以後半年、今年の2月末まで休職していました。
話を元に戻すと、そのノートを最後に書いた日は、どうやら8月末のようです。ちょうど「もうダメだ...ギブアップ」という状態の頃でした。
では一番最初、つまりそのノートを使い始めたのはいつなのか。先頭のページを見ると、昨年の3月頃だとわかりました。
すなわち、このノートの使用期間は、たまたま私がちょうど体調が悪くなり始めてから潰れるまでの期間と、ピッタリ重なっていたわけなんです。
つらい感情が蘇ってきた
ブログのアイデアになるネタがあるかな〜と思って読み返したノートでしたが、そんなことはどうでもよくなりました。
それを書いていたときの気持ちが思い出されて、当時の「あ゛あ゛あ゛ーーーっ!!!!」という心の叫びが、リアルに蘇ってくるのです。
「うわ...こんな状態だったんだ...そりゃぁ、キツイよなぁ...」って。
なんだか読んでいてかわいそうになってきました。過去の自分なんですけれどね。
昨年のノートに、何を書いていたのか
ノートに書いていた内容は、主にこの2つです。
- 仕事を辞めたい。苦しい。つらい。
- でもやり遂げなきゃいけない。そのための自己啓発的な思案。
100ページあるうちの、使ったのは70ページほど。後ろにはまだ空白が残っていました。
当時の私は、建設現場の監督でした。思い出したくないので今はちょっと書けないのですが(過去記事にはちょこちょこ書いています)、相当つらかったんです。就職活動しているときから鬱っぽくなっていましたが、この時期が一番ヒドかった...。
真面目な性格で、完璧主義なところがあります。社会人になった頃って、まだ社会人でない人にはわからないと思いますけれど、何か1つ「やり遂げた!」って言える経験が欲しいんです。でないと、自分にはどんなことができて、どんな業務が苦手で、だからじゃあどんな仕事が向いているのか...そんなの、わかりっこないじゃないですか。
だから、自分の性格と当時やっていた仕事が全然噛み合っていない、それどころか負荷がかかりすぎていると感じていながらも、「何が何でもやり遂げなきゃ...」って思っていたんです。
その結果、いつも持ち歩いていたノートには、仕事に対する姿勢を俯瞰するための言葉が並んでいます。
つまり、
- 仕事がつらくて苦しい→感情を吐き出してみる。具体的に何が嫌なのか。
- 自己啓発的な思案→苦しい、嫌なのはわかった。でも今はやり遂げなきゃいけない。そのためにはどんな努力が必要なのか、考える必要がある。
仕事が自分の人間性と全然合っていない。しかし、何としてでもやり遂げないといけない...。
完全に視野狭窄に陥っていました。
ドロップアウトし、ブログを始める
建物の完成が先か。自分の崩壊が先か。
結局、建物が完成する半年前にノックアウトされました。自分の意思とは関係なく、途中ではじき出されます。仕事に行けなくなり、外出するのも厳しくなったときに始めたのが、このブログです。
そして、今。
給料も落ち、多分社内での評価も落ちたと思いますが、自分自身の心の健康度は明らかに上がりました。休んだことでストレスが抜けきったわけですが、それを大きく後押ししてくれたのは、ブログのおかげ。
ただそうは言ってもやはり、就活のときに一度深く沈んだので、あの頃より以前の状態には戻っていません。
大学までは用意されたレールを進み、就職活動に直面して初めて知ったのです。自分はこの先生きていけるのだろうか...。その感情は今でも引きずっています。
やっぱり、生きる理由が必要です
このブログでは、「3年間は必ず続ける」という宣言を何度もしています。上のリンクにもそう書いてありますね。
理由は簡単。何としてでも、「自分を『生』に縛り付けておかないと、いつの間にかおかしくなってしまいそうだから」です。
顔も見えないネットとはいえ、やはりそれは、まぎれもない人間社会、人間関係の網(ネット)です。
この画面の反対側、向こう側には、きまって誰かがいます。今読んでいるあなたのことです。
昨日と今日は、主にブログを中心としたメモを整理していますが、そのどれもが「自分、自分、自分」です。これ書きたい、これ面白い考えだな、等々。
記事のアイデア出しなのですから、それはそれで問題ありません。今日これを書こうと思った理由は、この画面の後ろ、反対側には、誰かがいてくれているんだなぁと感じたからです。
ブログ記事のアイデアとは関係ないですよね。それでも、自分はこのブログを通して生かされているということだけは、よくよく噛み締めておきたいと思いました。
本当に、重たい話ばかりですみません。でもやっぱり私は真面目なので、馬鹿正直でいるしかないのです。だから今日は下書きもせず、一気に書いてみました。
現在22:30。そろそろ薬を飲んで寝る時間です。
ではでは。