1年の計は元旦にあり。
今日1月1日が終わるまえに、今年の抱負を書いておこうと思いました。
2018年 今年の抱負
以前、この記事を書きました。
「今の自分に必要なのは『没頭・瞑想・運動』だ。なぜなら、内の自分としっかり向き合うことにつながるからだ」。そんな内容でした。
さて、今年の抱負ですが、上の記事で出てきた課題がそのまま抱負になりそうです。
内の自分としっかり向き合うこと。これを、2018年のわたしの抱負にします。
とても漠然とした抱負ですが、どう実現するかはわかっています。先の3つ『没頭・瞑想・運動』です。また、向き合おうとする理由、その目的は、仮の自分からの脱却です。
「自分にウソをついている」。そんなふうに感じられてしまい、どうしたらいいのかわからなくなったのがついこの前の、昨年の12月でした。
少し脱線しますが、問題を解決するには2通りあると考えています。
1つは、それを問題だと思わないこと。その事柄を問題として設定しないことです。もう1つは、素直に解決すること。問題を切り分けでいき、分解された小さな問題を叩いていく方法です。こっちのほうが一般的ですね。
「自分にウソをついている」という感情は何なのか。
おそらく、今の自分は本来あるべき姿(ありたいと思っている姿)ではなくて、でもどうありたいのかがわからず、ただ違和感だけを感じている。そんな感情なんだと思います。ハタからみると「何をそんなに、難しく考えているのさ?」と思われるに違いありません。自分でもそう感じることだってあるし、きっと自分はバカなんだとすら思います。それでも無視できないので、余計苦しいままなんです。
自分のありたいと思っている姿が、そもそも自身の中に存在しているのか。あるいは、存在していないなら「ない」と納得するしかありません。
自分の考えていること、望んでいることを深掘りしていった結果、
- ある→その姿になれるのか、また、どの程度望んでいるのか
- ない→探しても見つからなかったことを、潔く受け入れる
この2通りです。
「自分探しの旅」なんてよく聞きますが、わたしは嫌いではありません。
あれはまぎれもなく、何かを求める者にしかできない行動です。そもそもそれが実行できない臆病者のわたしには、彼らを否定する権利はありません。彼らもまた、自身が納得すればそれでいいと思っているのでしょうから、特に問題ないと思っています。
会社をやめて旅に出るような度胸なんぞ1ミリも持ち合わせていませんから、いつもの日常をこのまま維持するとともに、わたしは自身の内をもっと見ていこうと思います。結果として求めるゴールは、「自分にウソをついている」と思わなくなることです。これが何らかのカタチで達成できればOKです。何も言うことはありません。
スピリチュアルな話になってきましたけれど、先ほどの3つ『没頭・瞑想・運動』を念頭に、今年の元旦を終わりたいと思います。みなさんの1年が、より良い時でありますように。
ではでは。
今週のお題「2018年の抱負」