部屋の掃除をしていたところで、気になる新聞の切り抜きがあったので書きました。
新聞の切り抜きをみつけて
部屋の掃除。
ここのところ気分が沈み込むことが多く、「そういうときは掃除が良い」と誰かがオススメしてくれた。
クローゼットの中、本棚の書物。使っていないリュック、何本もあるUSBケーブルなど。売っても値にならないものはぜんぶ捨てる。こういうのは思い切りが大事だね。
ベッドの横にある壁には、気に入っているCDを飾ってる。これはそのままにしたいのだけれど、その隣にあった1枚の新聞の切り抜きをひっぺがした。
切り抜きには、「2016年10月16日」とある。約2年前の、読売新聞の記事だ。
わたしがここで伝えたいのは、右側の上田紀行さんの記事。見出しには、『「生きる意味」見つける』とあった。
2016年10月というと、わたしが適応障害で休職しはじめた頃になる。
仕事は工事現場の現場監督だった。全然興味がわかないものの、まずは社会人として働き出したほうがいいだろうと思って、大学を卒業した。就職留年という手もあったけれど、それはただの「停滞」になるだけだと思った。
実際やってみて、予想はしていたが、まさに自分のニガテが集まった職種だった。1年半ほど続けた結果、はじめてうつ病の1歩手前になった。
「仕事人間」と呼ばれる人を、わたしは尊敬する。何かに一心不乱になれるなんて、とても幸せなことだ。それでお金ももらえるのだから、生活もできて一石二鳥。羨ましい。
自分もそうなれるかと思って懸命に努力はしたつもりだが、ムリだった。仕事に救いを求めたが失敗したので、いよいよ「生きる意味」がわからなっていたとき、この新聞記事に出会ったんだと思う。
新聞によると、上田さんは28歳のときに転機が訪れたようだ。わたしは今年で26歳になってしまうが、今のところ希望もなにもない。
一度、結婚して子供も生まれたら、こんな考えなど吹き飛ぶに違いない、と思ったことがある。でもそれは望ましくないと考え直した。
自分のために他人の人生を利用する。そんなふうに思えてしまった。結果オーライになればいいのだろうけれど、「子供がいるのに夫が急に自殺した」なんてことになれば、目も当てられない。
上田さんのように、海外に、それも1人で発展途上国に行くなど自分では考えられない。よくある「自分探しの旅」になりそうな予感もする。ただ、こんな自分だからこそ、むしろ莫大なエネルギーを身につけることができるのかもしれないが。
さいごに
切り抜きを壁に貼り付けたのは2016年10月。これを書いているのは2018年6月。
考えていることや悩みには、寸分の違いもない。変わったこととすれば、会社に復帰できたことと、趣味といえる趣味ができたことくらいだ。それらによって、生きるチカラが手に入ったわけでもないから、大きな意味では何も変わっていない。
人生に、期待しすぎているのはないか?。何度となくそう思う。だけど、これが悪だとは思えなくて、退ける気持ちにもなれない。
中で得体の知れないエネルギーがグルグル回っていて、でも外にうまく出せないでいる。「自分は何者かになれるんだ!」みたいな気持ちは、きっとどこかでみな消化しているのだと思う。わたしはまだ、こじらせている。
♢
新聞の切り抜きにある『覚醒のネットワーク』はまだ読んだことがない。とりあえずAmazonのほしいものリストに登録しておいた。
他にも、上田さんの著書に『人生の〈逃げ場〉』という本がある。こちらは2016年9月に読んだ。記事にも書いたので、参考までにどうぞ。
ではでは。