さいきん、気分が落ち込んでいます。
特になにか理由があったわけでもないのですが……あるとしたら、季節性のものだと思ってます。梅雨のある6月は毎年気が沈みがちなので。
心が沈んだときって、たいていうつむきがちになります。それについて、いろんな人がいろんなことを言います。
「上を向いて歩けば気が晴れる」とか「無理やりにでも笑顔になったほうがいい」とか……。
僕は否定しません。たしかにそんなアドバイスに従ったほうが素直でよろしいのかもしれない。けれど、僕は「落ちるなら落ちてしまえ」って思ってます。
「心模様は天気と同じ」。かつてカウンセリングを受けていたときにそう言われたことがあります。
天気には晴れの日もあれば大雨の日もありますね。地域によっては晴ればかりの場所もあれば、逆に雨ばかりのところもあります。地球には砂漠もあれば密林地帯があるように。
地球というのは1つの生命体だという考え方があります。その中で生命が死に、別の命につながっている。空気は流れ、風が発生し、雲ができて雨を降らす。そんなふうに、すべてが循環してまわっているんですね。
ヒトも同じじゃないですか。身体のなかにはいろんな微生物たちがいるし、空気を取り込んで吐き出している。
心は目に見えないのでわかりにくいですが、きっと同じです。なんとなく気分がいい日もあれば、特に理由もなく気が優れないときもあったりする。つねに同じ状態というのは存在しなくて、たえず揺らめいているのが”自然”なんですよね。
晴れが普通であり、いつでも晴れていてほしいと願うのは傲慢でしょう。いつも晴れてしまっては、畑に雨が降らず作物が育たないのと同様。心もまた、いつも元気というのはおなしな話なんですね。それが望ましいとされているのが逆に不思議なくらいです。
もちろん、元気でないのを周囲に振りまくかどうか、は別です。だれだって不機嫌な人とは一緒にいたくないですからね。だけれど、自分の中の状態としては元気でないときがあっても何も問題ではないんですよね。
そう思うようになってから、元気がないときは元気がないまま放っておいたらいいやって思うようになりました。天気と同じで、曇りのあとに雨が降って、そのあといつかは晴れますから。
スターウォーズだったかな。すべてはバランスで成り立っている、みたいなセリフがあった気がします。本当にそうだと思う。光あっての影があるし、上があるから下がある。それぞれにはそれぞれの適した環境があり、存在のしかたがある。
ならば、気が沈んでいるときにはそのときに適したあり方っていうのがあると思うんです。
冒頭に、元気がないときってたいてい下をむいてうつむきがちになるって書きました。
うつむいているとき、何が見えるか。そこには普段あまり見ていない景色が広がっているでしょう。
トップの写真はただのタンポポですが、僕はこの咲いている場所と、道路の白線、雑草の生え方……なんか、その組み合わせと配置がいいな〜と思って撮りました。このとき気が沈んでいたかどうかは覚えていませんが(笑)、下を見ないと気が付けない風景は絶対にあります。
元気なときに気がつけることもあれば、元気がないときにこそ気がつくこともある。
大事なのは、そのときどきに応じて、適したあり方を保てるかどうかなんでしょうね〜。
みなさんも、自分に適した場所とペースで生きていけたらいいですね。僕もそれを大切にしていけたらいいなと思っています。
ではまた。
心が沈んだとき、人はたいてい俯きがち。「上を向いて歩こう」というが、下を向くときは下を向いたらいいと思ってる。俯かないと気がつけないことって多いから。
— Masato.N (@omoidegraphy) 2021年6月20日
すべてはバランスだというけど本当にそう思う。光あってこその影。上があるなら下があり、それぞれに適したものが存在する。 pic.twitter.com/OKPUL3QHpo