いまに繋ぎ止めるのに精一杯
アパートのどこかでアラーム音が鳴り響いていて、それで目が覚めてしまった。いつも寝起きが良くなるようカーテンを開けているのだけれど、そこから強烈な朝日が差し込んでいたのも2度寝できなくなった理由の一つ。
ただいま6時。お腹もすいている。3時間しか眠れなかった。日中のことを考えたら、あと3時間ほど寝て9時に起きたほうがいいと考えたけど、本当はどうしたいのかと思ったら、ご飯を食べたい、という結果に行き着いた。
けど、その前にこれを書き始めた。ベッドの上で重大な発見をしてしまった。
消し去りたい
なかったことにしたい、と思うことがよくあったということに、いまさっき気がついてしまった。
よくそういうふうに思うことはあって、でもあまりに自然にそう思っていたから、そういうクセに気がつけなかった。寝起きにふと思って、思ったことに気がついて、自然とそんなことを考えていたことに驚いた。
過去のこと。長野での日々もだし、元カノとの日々も、社会人として働き出した会社でのことも、そのまえのことも。あれもこれも全部、小さなことも大きなことも、なかったことにしたい、という気持ち。これはなんだろう。
本当はもっとこうしたかった、という気持ちがあるのかもしれない。あのときこうしていればとか、そういう後悔の類い。
過去を振り返って後悔したり、未来を想像して悲観したりするのは、いまに集中できていない証拠だと以前ぼくはブログに書いた。本当にそう思う。
「いまの自分はそんな状態だな」と認識しつつも、抜け出さず、そのまま後悔に浸っている。
繋ぎ止める
すべて、一瞬で真っ黒にしてしまいたいとする気持ちの裏側には、いったいなにがあるんだろう。
いまに対する無気力感、虚無感かもしれない。
結果良ければそれでよし、という言葉がある。それはあくまでいまが良いときにそう思えるのであって、いまに満足していなかったら「結果良ければ」にならないし。
日々、消えてしまいそうな、消えてしまおうとする自分をあらゆる手段で繋ぎ止めている。
本を読んだり映画を見たり、音楽を聴いたり、ほしいものを買ったり。
ルームディフューザーを用意して部屋のなかを爽やかさで満たしたり。
購読しているブログでよかった記事を、コンビニでプリントして壁に貼ってみたり。
にぎやかなカフェに来て勉強したりブログを書いたり。
今を掻き消してしまわないように
ブラックアウト/ASIAN KUNG-FU GENERATION
君のか細い手が弱く羽ばたいても
歌詞が沁みる。
いまに繋ぎ止めるのに精一杯。
さいごに
暗い話を書いたけれど、そう悪くもないとも思ったりもしている。
たぶん僕は、大切な人ができたとき、その存在を当たり前には思わない。いろんな意味で、いつ死ぬかわからないから。その儚さ、危うさをある程度は知っている状態だろうから。
ひるがえって、それが自分の命にも同じように思える日がくればいいと感じる。