後ろ指さされても新たな人生を始める。ヘッセ『車輪の下で』
ヘルマン・ヘッセ『車輪の下で』を読みました。
小説が伝えようとする我々へのメッセージを分析するのではなく、これを読んで僕が何をどう感じたか、という話を書きたいと思います。
『車輪の下で』感想
先にいうと、この小説を読み終わってみて、僕にはやり場のない悔しさが残りました。
ストーリーをまったく知らずに、読み始めました。
たまたま図書館で棚を眺めていたら目に入った1冊です。いつか読もうと思っていたので、ちょうどいいやと思って借りたのです。
以下、あらすじ。
周囲の期待を一身に背負い、猛勉強の末、神学校に合格したハンス。しかし厳しい学校生活になじめず、学業からも落ちこぼれ、故郷で機械工として新たな人生を始める……。
地方出身の1人の優等生が、思春期の孤独と苦しみの果てに破滅へと至る姿を描いたヘッセの自伝的物語。
もともと気になっていた作品ですが、さらに惹かれたのは、挫折から新たな人生を歩みはじめるという点でした。
この2022年、僕は期待を裏切られるという実感を強く感じた1年でした(まだ10月だけど)。
だから、ハンスに同情し、そして学べる何かがあるのではないかと思って手に取ったのです。
結果、「〇〇を学べた!」なんてキレイにくり抜かれたような収穫はありませんでした。
むしろそんなわかりやすい自己啓発はなんにも役に立たないというのが僕の持論です。
けれど。
自身のアイデンティティが崩れ、絶望し、集団から追い出され、孤独と苦い時間を過ごしたひととき。
そんな中でもまるで凍土の雪解け水のように少しずつ、少しずつ思い出が蘇ってきて、途中で恋をするもののこれまた弄ばれていたことを知って深く傷つき、それでも新たな仲間に囲まれて、これまでの人生から一歩外へ踏み出すのです。
そんな彼の姿に、感動しました。
けれど、けれども……。
ぜひ読んでいただきたいので結末は書きませんが、悲劇というか……あぁ、なんでそうなるんだ、なんでそうなっちゃうんだ……と思いました。
大人も子供も
主人公は中学生くらいの少年です。
それくらいの時期は、心も非常に柔軟で感度がいいでしょう。
同じ年頃の人にこそ読んでもらいたい作品でした。
もっとも大人が読んでも間違いなく良いはずです。
あるいは、大人こそが読むべき作品なのかもしれません。
以下は、ハンスが神学校で落ちこぼれ、退学させられるシーンです。
学校と父親や何人かの教師の野蛮な虚栄心が、無邪気に広がっていた穏やかな子供の魂のなかで遠慮会釈なく暴風雨のように吹き荒れることで、このもろくて繊細な人間をすっかり追い詰めてしまっているとは、誰一人考えなかったのだ。
『車輪の下で』は、ある少年が周囲の期待を背負い、またそれが自分が認められる唯一の手段なのだと見誤ったがために挫折し、後ろ指さされながらも新たな人生を歩みはじめようとする物語です。
挫折を知らない子供と、過剰な期待を押し付けたり、若き日に自らも抱いたはずの心の揺れを忘れた大人。
彼らこそ読むべき1冊のように感じました。
さいごに、読みながら胸ぐらを掴まされたような文章を紹介して終わりたいと思います。
さいごに
彼は特に森のなかの湖が好きだった。メランコリックな茶色い沼地で、葦の茂みに囲まれ、古い枯れ葉をつけた木々が水面にせり出していた。悲しげで美しい森のその一角は、夢想家を強く引きつけるのだった。
風景描写がすばらしいです。
この他にもたくさんありました。
新しいスーツを着、神学校の緑の帽子を頭にのせ、自分のかつての同級生たちよりもずっと高いところに属する、人から羨まれる世界にふさわしく成長して。
転落する寸前の心情。
ハンスへのその手紙は実直なこの男性が駆使しうる限りのあらゆる励ましと道徳的な憤慨の表現の集大成となっており、意図せずに一種の泣き落としの調子をにじませていて、息子にはそれが辛かった。
まるで息ができず悶え苦しんでいるところを、さらに首を締めにいくような行動をとったのは父親でした。
木の梢が来られると、その木は好んで根っこの方に新しい芽をつける。
(中略)
根っこに出てきた芽は潤いも多く、急速に成長する。しかしそれは見せかけの生命であって、けっして一本の木になることはないのだ。
それでも人生は立ち直ることを強制しますが、できればスッと伸びる大樹であったほうがいいでしょうね……。
学校や校長先生の家、数学教師の家やフライクの作業場、牧師館のそばなどを通り過ぎるときには、惨めな気分になった。
あれほど難儀して、熱心にがんばり汗を流したのに。小さな楽しみをあれほど犠牲にし、誇りや名誉心を持ち、希望に満ち溢れていた夢を見ていたのに、すべてが無駄だった。
つらいよ。つらい。つらすぎる。
でも、それでも歩き出さなきゃいけないときがあるのです。