1000文字ちょっとの記事。駄文です。
いろんな気持ちのアンソロジー。
久しぶりに自分の写真を載せました。
不動産
深夜まで、不動産屋のYouTubeを見ていた。賃貸がいいか持ち家がいいか。
結局は人生設計次第です、という回答だった。
持ち家を買う人の多くは30代で35年ローンを組んで買うと知った。
自分が、世間からものすごく遠く離れたお粗末な日々の真っ只中にいるように感じてイヤになった。
長い列
ヘルマン・ヘッセ『車輪の下で』を読んでいる。
猛勉強の末に難関校に合格したハンス。
9月入学の前に、しばしの夏休みを味わっていた。
美しく自由な夏の日々が、穏やかに、誘うように、彼の前に長い列をなして連なっていた。
あらすじを読むと、彼は神学校に入学したは良いものの、その後の厳しい学校生活になじめず落ちこぼれてしまい、故郷に帰って機械工になるらしい。
周囲から期待され、必死の努力によって手にした勝利は、無様にも彼を裏切る。
ハンスがこの結末に耐えられるのか、読み始めなのにすでに心配。
同時に、自分の前には何が列をなして並んでいるのかが気になった。
【読み終わった感想】
後ろ指さされても新たな人生を始める。ヘッセ『車輪の下で』 - 3年ブログ
くじ引き
ガラガラのくじ引きで、白ばっかり出る。
金や銀とは言わないから。
赤でも緑でもいいから出てほしい。
自分が回している間に。
心臓
どうでもよくなって。
まだ頑張ろうと思って。
そんな心理を繰り返している。
どうでもいいやと思っても、心臓は動き続ける。
朝になったら50年後とかになっていてくれと願う。
でも目覚めたら1日後になっているだけ。
あるときには幸せとか最高の気分になっていたとしても、今思い返してみれば、それはたいして何でもなかったように思えてしまう。
あれは窒息する寸前で水面に顔を出した瞬間だったかもしれない。
一瞬ラクになったのち、また水中へ引きずり込まれた。
何者かによって。
それでも心臓は動く。
いずれ止まるまで永遠に。
空白
人生をジグソーパズルに見立てたらどうなる?
空白の部分が、いまなのか?
空白がない絵なんて、絵として退屈だ。
写真と同じ。
偶然か、僕が撮る写真には空白が多い。
2枚とも鳥を撮った。
1枚目が最高に気に入っている。
ダークで憂鬱だから。
でも2枚目も好き。
被写体は、その周辺の景色があってこそ輝くのだと感じる。
人生も同じでしょ?
その絵の中心には、
「こんな人生だ」
「自分はこんな人です」
という認識がある。大事なのは、ハッキリ認識できるそれじゃない。その周辺。
周りに何があるか。
それは、家族をもったり金持ちになったりしたきっかけであり、そこに至るまでのストーリーだ。
誰かを裏切り踏みつけて築いた家族なのか。
誠実に働いた結果、お金に愛されたのか。
重要なのは、結果ではなくて過程ではないか?
結果は他人の評価によって価値を帯びるもの。
過程は、あなたそのものだから。
過程は、空白がほとんどを占める。
空白は、何もないように思えて必ず何かがある、そういう場所のこと。
空気中の水蒸気。
忘れている日々。
空白がなければ、写真もジグソーパズルも成り立たないと思う。
でも、空白の連続の日々はツライものだ。
ひとつふたつ失くしたピースを
ひとつふたつ心で探す
全部拾い集めたら
憂鬱な日々も少し晴れるかな
『桜草』
ASIAN KUNG-FU GENERATION
さいごに
駄文でした。
ではまた。