普段はこんなことは気にしない。
でもたまに、ふとしたときに“あいつ”が現れる。“あいつ”は私に、「期待するように」仕向けてくる。
ようやく気がついた“心のクセ”
今日のTwitterで…
お昼頃に、ブログ仲間の草木無量さんとTwitterでちょっとしたやり取りをした。
それというのも、あるブログ記事に、私がこうコメントしたのがきっかけだ。
長距離の移動だからと言って本を持って行っても、ただ重たい荷物を運んだだけになる現象、わかります(笑) https://t.co/yHq4FaCtcm
— ぬこ@クラゲ化93% (@3years_book) 2017年6月22日
草木無量さんは先日、栃木県の宇都宮→山梨県の甲府まで電車で移動した。そこで、「長距離移動だから本でも読むか」と思ったらしい。ところが、甲府に到着するまでの間、本に一度も触らなかったという。ずっとスマホを眺めていたそうだ。
この現象、実は私もよくやってしまいがち。とりわけ旅行など、普段はあまり行かないような場所へ移動するとき、本を持っていっても全然読まないのだ。これは何でだろうと、仕事のお昼休みの間、パンをモグモグ食べながら考えていたら、気がついてしまったことがある。
それは、「未来に期待しすぎなのではないか」という疑問である。
より良い方向へ。よりベターな選択を。
私は常にそう思って日々を過ごしている。というより、今日そのことに気がついた。
小さい頃、何かの拍子にそう考えたんだと思う。その後、その思考回路を使っていくつもの物事を乗り切ったらしい。この考え方はいつの間にか当たり前になっていた。おかげで脇道にそれることなく、順当な学生生活を送ってこれた。部活動に励み、勉強を頑張った。やってはいけないことには一切手を出さず、したがって両親からは「育てやすかった」と言われている。
この「常にベターを」という考え方は、一見すると物事をスムーズに動かすための、素晴らしいレールとなる。現実的な手が打てる範囲まで先々のことを予測し、ならば今何をすべきなのか、無駄なくシンプルに考えられるからだ。
ところが、当然ながら、良いことだけの世の中でもなければ、人生でもない。ちゃんと悪い面があった。
期待のしすぎ
そう。私は「常に期待している」のだ。
より良い方向を常に意識することは、その時その時において先のことを考え、最も良いと思われる選択を取ることと一致する。これは裏を返せば、未来に対し「常に期待している」と言える。
自分の未来は自分で何とかすることができる。やろうと思えば何でもできる…。
そんな甘ったるい考え方を武器に、今まで生きてきた。
学生時代ではそれで上手くいっていたんだと思う。ところが社会に出ると、これが全くもって使い物にならない。それどころかむしろ、自らを拘束してしまう。自分で自分の首を締めることにつながっている。現実はそんな甘くはない。
“あいつ”が私に向かって言う
話が拡大してしまったが、今回の「本を毎回多めに持ち運んでしまう現象」は、この「未来に期待しすぎていること」を自覚できる、とても具体的な例になった。
なぜなら、私が遠出をするときは
- 空いた時間を有効活用できる(有効活用せよ)
- では、本をいっぱい読めるだろう(読め)
- …あぁ、できなかった…
こんなふうに期待をし、ひどいことに心の中では命令形の場合が多い。この流れをさらに一般化すると、次のようになる。
- できるぞ
- できなかった or やらなかった
- ...(後悔)
悲しいかな、こんな思考回路が出来上がっていた。
たとえ本を全然読まずにいたとしても、必ずしも気分が滅入るわけではないが、こんなふうに、過去の自分が今の自分に抱いていた状態と、差ができてしまう。それが後悔となり、過去の記憶の中を満たしてしまう。
これは小さく積み重なっていく。本当に感じるか感じないかのレベルで、毎日の中で積もっていく。
すると、ふとしたときに“あいつ”がやってくる。私の過去を、現在も含めてこの世から引き剥がしてしまおうと企む“あいつ”である。
これは私の場合ですが、未来に期待しすぎていると思うんです。
— ぬこ@クラゲ化93% (@3years_book) 2017年6月22日
未来の自分とは、過去から見れば現在の自分です。今私は、GOOD!だと思える状態にあるのか...答えは否です。
これ故に、たまに全てを消したくなります。過去を思い出したくない。期待通りにいってなさすぎるからです。
過去を思い出したくない。後悔の塊だからだ。
でも本当は、そう思うのはこの私ではなくて、“あいつ”が私に向かって放った声なのだ。
上の話に、草木無量さんが頷くかどうかはさておき、私は自分の中にいる“あいつ”の存在に今日、気がついてしまった。
だから、今度“あいつ”と目を合わせたとき、私は“あいつ”をにらんでやろうと思っている。手を貸してくれるなら良いが、害を与えるなら黙っていろ、と。