読み終わった小説の一節が、頭から離れませんでした。
ブログにどうしても書いておかなきゃいけない気がしたので、ここに書きます。
「選択」と「理解」
過去のとらえ直し
先日読み終わった小説「空中都市」には、主人公の母親がひとり旅をするシーンがあります。
その旅の途中で、歩きながら自分が今ひとりであることを噛みしめて、これまでずっと誰かと一緒にいたこと、誰かにいつも守られてきたこと振り返ります。
でも、ひとりにならないとできないことがあり、そしてわからないことがあるのだと考えていくんです。
そして、この旅をする理由は何なのかと考え始めると、それは自分を理解するためだと結論づけます。
自分を理解するためには、過去のとらえ直しが必要なんだと思う。自分の選んだ人生と、選ばれなかった人生を「理解」するために、今、ひとりで歩いている。
つまるところ、人生とは「選択」の積み重ねなのかもしれない。
小手鞠るい「空中都市」
過去をとらえ直すことで、自分を理解する。
そのためには、時間的なゆとりのほかに、誰からも離れてひとりでいることも必要なのかもしれませんね。
たしかに誰かと一緒にいると、なかなか心のなかの自分だけと向き合うのは難しいように感じます。
理解するためにここへ来た
「空中都市」の一節を読んだとき、映画「マトリックス」のあるシーンを思い出しました。
予言者に会いにやってきた主人公・ネオ。
自分のすべきことを教えてくれと頼むと、予言者から「選択」と「理解」についてこう言われます。
「キャンディいる?」
「俺が受け入れると知ってるんでしょ?」
「知らなきゃたいした予言者じゃない」
「だけどもう知ってるなら、なぜ俺が決めるんです?」
「あなたはここへ決めに来たんじゃない。もうとっくに決めてる。
あなたが来たのは、なぜそう決めたのか理解するためよ」
映画「マトリックス リローデッド」
先ほどは、過去の選択を理解するという話でした。こちらは未来へ向けた選択を理解する、という内容です。
時間軸が逆ですが、いずれにせよ選択を理解することがなによりも重要だ、というメッセージが込められているように思いました。
さいごに
選択を理解するとは、いわば意味づけであり、解釈です。ただこの解釈こそがもっとも大事であると思います。
ナラティブセラピーという心理療法があります。これはクライアントのこれまでの人生への解釈を新しく書き換えることで、問題の解決を試みます。
翻って僕自身のこれまで、特に今年について触れると、期待をことごとく裏切られる1年でした(まだ終わってないけど)。
今の僕自身の課題は、期待を裏切られるという解釈そのものや、それを受けた際の自身への評価をどう定めるのか、です。
僕は「マトリックス」が大好きです。
先の引用文を思い出すと、自分は本当はどうしたいのか知っていて、すでに選択しているということになります。あとは、自分の下した選択を理解するだけ。
年明けからあらゆることが上手くいかないのは、適切に理解できていないからなのかもしれません。
早く理解できるといいのだけれど。
がんばります。