3年ブログ

3年間続けようと思い、現在8年目になりました。ネコ派ですが、最近ゴールデンレトリバーが可愛いくてしかたないです。

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心理戦

 

いろんな心理戦がある。

 

 

ネクタイ

ネクタイを買った。

今週末、資格試験の面接がある。前回は私服で行った。

 

服装の指定はないが、気合を入れてスーツで挑む。

それを考えたとき、なんとなく緑色のネクタイが良い気がした。

でも持っていなかった。

 

偶然、紳士服売り場を通りかかった。

ネクタイがずらりと並んでいるのが見え、探すとイメージどおりの緑があった。

 

990円。これなら良いと思って買った。

 

 

突然だが、僕は論述や面接試験が大嫌いだ。

 

落ちたら腹が立つ。

受かったとしてもイライラする。

何がよくて何がダメだったのか、いまいちハッキリしないからだ。

 

試験管によっても評価にバラつきがある。

そのうえフィードバックも何もない。

 

評価に曖昧さを多量に含んでいながら、最終的には合否という明確な線引で仕分けられる。

そこに強烈な理不尽さを感じる。

心底嫌いだ。

とにかく非常に気に入らない。

 

だからこそ、ネクタイの色で心理戦に持ち込んでやりたいと思った。(笑)

 

意味の旅

「生きている意味なんてない」と、昔ある人がハッキリ言っていた。

いまだに引っかかっている。

 

河川敷にやってきた。平日の15時。人はほとんどいない。

草木が風に揺れるカサカサという音と、バッタのジリジリとという鳴き声が聞こえる。

対岸では、野球部員たちが準備運動をしているのが見える。

 

穏やか時間はいいものだが、この時間にいったい何の意味があるのかわからない。

午前中に散髪に出かけ、ネクタイを買い、パン屋さんで軽食を食べてからここに来た。

 

特に予定のない日々を送っている。

何も生み出さない日々を過ごしている。

 

働く社会人から見ると、とても贅沢な状態だと思う。

けれど僕には、ここにどうしても意味を探してしまう。

暇だからか? そうじゃない。

暇じゃないときも考えていたし、むしろ暇じゃないときに考えては仕事や勉強が疎かになった。

 

「生きていくことに希望が持てない」という疑問は間違っていると言ったのは、『夜と霧』で有名なフランクルだった。

彼はこう続ける。

 

人が人生に意味や疑問を投げかけるのは間違っている。

正しくは、人生が人に問うているのだ。

 

ある人がいった「生きる意味なんてない」という姿勢は、フランクルに言わせれば人生から逃げているのかもしれない。

 

自分は自らの人生から何を問われ、何を期待されているのか。

「この時間にいったい何の意味があるのかわからない」という気持ちは、問われていることに必死に答えようとしているともいえる。

 

僕と人生の心理戦だ。

 

嵐がやってきたら

何をしていても憂鬱、というときがある。

 

働いていても、いなくても。

恋人がいても、いなくても。

 

太陽の光を浴びても、十分な睡眠をとっても、美味しいものを食べても。

 

これをすれば良くなる、という手段がない。

嵐が来たら、過ぎるまで待つしかない。

 

嵐のやってこない場所に引っ越したい。

地球上にはそういうところがある。

心の中にもあるのか。

 

たぶん、あるかないかではない気がする。

つくるかつくらないかだと思った。

 

人間社会で生きていくとき、ときには他者との心理戦も必要だ(ネクタイみたいに)。

でも一番大事なのは、自分自身との心理戦かもしれない。

 

嵐のこない場所に移る?

嵐をやり過ごす城を築く?

嵐に勝てる強さを身につける?

 

人はみな、常に自分自身との心理戦を繰り広げているんじゃないだろうか。

 

 

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