10年前は今の自分を想像できるはずもありません。
今から10年後も同じなのかなぁという思考記事です。
約2000文字の長文になります。
しばらく更新していなかったので、いつもより筆が進んでしまいました。
きっかけの1曲
よく行くラーメン屋さんでは、いつも10年ほど前のヒット曲が流れています。
昨日もそこでつけ麺を食べていたとき、懐かしい曲が聞こえてきました。ORANGE RANGEの『キズナ』です。
妙に聞き覚えがあると思って、しばらく考えてようやく思い出しました。
すると、『絆』は中学生の頃、通っていた塾からの帰り道でよく聞いていたのでした。あぁそうか。あの時か。
昔と今
わたしの中学生時代というと、今から約10年前になります。教育にうるさい親でしたので、3年間は勉強7割、部活3割で終わりました。
卒業した10年後の今は、建設会社で働いています。今までの人生でまったく縁のない業界です。
はじめは工事現場の監督でしたが、精神面から体調を崩しました。6ヶ月休職したのち、図面を描く部署に異動することになります。ちょうど1年経った今現在、毎日パソコンのCADソフトを使うため肩と首が凝ります。
そんなふうにして、つけ麺を食べながら10年前にタイムスリップしたわけですが、10年前って、はるか遠い昔のように感じます。
学生の10年間と社会人のそれとは、時間の区切りが明確な学生時代のほうが、記憶に段がつくので思い出しやすいのです。
わたしは社会人になって今年で4年目になりますが、今から10年後というと2028年。36歳になる年です。
中学生の自分が想像できなかったように、30代後半にさしかかろうとする自分は想像できません。
どんな姿をしているのか。仕事はこのまま同じ職業、同じ会社なのか。家族はいるのか。まだカメラを趣味にしているのか。ブログを書いているのか。こんなことを書いていた日々のことを、どう思っているのか…。
生きていくこと
今のわたしにとって、一番大きな悩みは生きていくことです。「どう生きるのか」というより、「生きていくのかどうか」という考えに、たえず思考を占領されています。
死にたいわけではありません。ただ、今までは受動的に生きていて、今は能動的に生きようとしている状態なのだと思います。
学生であったころは、乱暴に言ってしまえば周りと同じように過ごしていればよかったのです。学校へ行く。当然のように大学へ進学する。就職する...。
ところが社会人になると、ホントにいろんな人がいることを知ります。
- 勉強を頑張らなかった人
- お笑い芸人などの夢を追っている人
- デザインを専門で学んだ人
- 海外で働いている人
どの姿も、今までのわたしには無縁でした。自分と重ね合わせる機会すらありませんでした。身近にいなかったのも1つの理由ですね。
安定すること
新卒で入社した今の会社で、途中休職なんてこともありましたが、今では毎日問題なく出勤できています。難題にぶつかっているわけでもありません。
それでも今になって、この良い生活基盤は間違っているのではないか、と思うことも度々あります。
安定とは、わたしの中では「安定してゆっくり落ち続けていく」といったイメージがあります。何も「安定志向はバカなんだぜ!ハハッ!」といったふうな、意識高いだけの勘違いマンではなくて、単純にそんなイメージがあるというだけです。
維持しようという気持ちばかりになり、そのためにあらゆるガマンをしてしまう。安定にはそうした恐ろしさがあります。
心に不健康だとわかっておきながら、時すでに遅し。もうその頃には、耐える以外の手段がないのです。
たとえば
- 離婚したいのに、子供がいるからといってガマンして結婚生活を続けている人
- 諦めきれない夢があるのに、生活のために何年も気持ちを押しつぶしている人
もっとたくさんの例があると思います。
現実問題として、やはり子供がいれば子供を優先するでしょう。夢がどうのこうのと嘆いても、背に腹は変えられません。
思い通りにならないことが普通だ、なんて言葉も聞こえてきます。
10年後の自分に期待すること
可能性があるうちがもっとも苦しいのかもしれません。
仕事なら昔のように、農家に生まれれば農民になり、武家に生まれれば武士になる。「これが一番ラクなんだ」。以前飲んだ高校の友人が言っていました。
そんなふうに考えていると、まるでお先真っ暗のように思えてきてしまい、気分が憂うつとしてきます。だから考えても仕方がないことだと言い聞かせて、いつもこのあたりで思考を閉じます。
10年後の自分に期待するのは、こんなことを考えていたがまったく気にすることはなかった、という状態です。
そんな姿はまるで想像できないのですが、今より良い状態であれば言うことなしです。
・Camera:X-Pro2
・Lens:XF35mmF2R WR