『フランス人は10着しか持たない』という本を読んだ。
パリに留学をした著者が、ホームステイ先で学び感じ取ったことの話が書かれている。
本のタイトルにもある「服を10着しか持たない」は、暮らしの質を高める秘訣の一例。本書には、それ以外にもさまざまな暮らしのコツが載っていた。
その中でも一番いいなと思った「ささやかな喜びを見つけること」について、今回は書いていこうと思う。
写真活動
少しだけ、僕自身のことに触れたい。
4年ほど前、初めていい感じのカメラを買った。それ以来、趣味で写真を撮るようになり、それは今でも変わらず続いている。
先月は東京・銀座で写真展をやるまでになった。
4年間も撮り続けるその原動力は、きっとカメラを買うずっとずっと前からあったのだと思う。
淡々と過ぎゆく毎日において、なにか爪痕を残したい。今日生きた証であり、明日に進むための力がほしい。
そうした想いは、カメラを手にしてから強くなっていった。いままで見過ごしてきたけれど、今日はこんな風景に気がつけた。ふと空を見上げたら、この瞬間に見た空模様はもう2度と見ることはない、なんて。そんな当たり前のことを意識したりもした。
何気ない日常のなかで、自分が良いなと思う景色を探すこと。それはまるで宝探しみたいだった。わざわざ遠出しなくても、近所で十分満すことができた。
写真は ”過去そのもの” であるから、自分が撮った景色は、間違いなく自分がそこにいた証になる。それは他人が理解できなくてもよくて、自分がそう感じることができればいい。写真を撮るからには、もちろん多くの人に見てもらって共感してくれるのが一番うれしい。けれど、まずは自分の思いが第一だ。
景色を見て歩いていくと、「きれいだな」「かっこいいな」と思う瞬間がある。それは心が動いた瞬間だ。そこにちゃんと気がつけるようになると、自己肯定感も高まるように思う。
なぜなら、心が動いた瞬間を自分でちゃんと認識できて、「きれいだ」と思ったんだなって認められるからだ。それは自分を肯定してあげることになるし、いい景色を見て感じる嬉しさ以上に、喜びを感じられるのだ。
どんな小さなことにも目を止める
長く自分語りをしてしまったけれど、本の内容と関係ないわけでもない。
『ささやかな喜びを見つけること。それが幸せな暮らしを送るための秘訣よ』。
著者のジェニファーさんはそう語る。そうして次のように話す。
ホームステイ先の家庭では、朝食の準備をしながらラジオを聞くのが好きだった。いちごのタルトをつくるときは、いちごの向きをきちんと揃えるのがたのしかった。
ささいなことに喜びを感じ取れるようになれば、満ち足りてバランスの取れた生活ができるようになる。無駄使いをせず、ものを買い込んだり、食べ過ぎたり、といったこともなくなる。
ささやかな喜びを味わうということは、人生にワクワクすることだ。今という瞬間を精一杯に生きて、どんな小さなことにも目をとめること。ユーモアのセンスを持って、上を向いて、人生で何が起きてもしっかりと受け止める覚悟ができていること。
どんな小さなことにも目を止めること。
それは、まさしく写真撮影の極意そのものだと思ったし、幸せな生活を送る秘訣だとも教えてくれた。
”何を”ではなく、
”どのように”するか
……と、ここで終わりにしたかったのだが、本書のさいごでとても良い話があったので付け加えておこう。
留学から月日が流れ、ジェニファーさんは2人の娘をもった。チャプター16『情熱をもって生きる』では、母として、彼女らにはどう生きていってほしいかが語られている。
大事なのは「何をするか」ではなく「どのようにするか」だ。
これから先、どんなに面白い人生のいたずらが待っていようと、娘たちには正面から向き合って、自身をもって歩んでいってほしい。
この数行を読んで思い出したことがある。
僕はむかし、両親に「トラックの運転手になんか絶対になるな」と言われた。別に運転手になりたいと話したわけでもなく、きっと何か会話の流れでそう言われたのだろう。
世の中の経済活動は、必ず誰かの仕事によって成り立っている。トラックの運転手という仕事は、たしかにキツイ仕事だ。命の危険もある。給料もピンキリかもしれない。
だがこれだけはハッキリしているのは、トラックの運転手がいなくなると物流が一切成り立たなくなるということだ。そしてなによりも、どんな仕事であっても価値を理解して働いている人がいるということも、絶対忘れてはならないはずだ。
「何をするか」で考える人たちは、外の評価にさらされる。自分のしていることを基準に他人を批判し、他人を羨む。
「どのようにするか」で考える人たちは、内に評価基準がある。自分がどうであるかを重要視するので、外の変化にも強い。特に現代のような、変化の激しい世の中においては、外の評価軸などあまりアテにならないのかもしれない……。
何に喜びを感じる?
「どのようにするか」は自分で考えねばならない。幸せな暮らしを送ろうとしたときも、自分が何を感じ、どうしたいかがもっとも重要であろう。
幸せな暮らしとは、人によって違うものだ。社長になれば高収入になるかもしれない。だが高収入になった社長が幸せな暮らしを送れるかというと……それとこれとはまったく関係ない。尊敬、友情、愛。これらはどれも、お金では手に入らない。しかし、幸せな暮らしにはどれも必要な気がする。
自分が何にどう感じるか。それが幸せな暮らしを送るために必要なキーワードだと思う。何にどう感じるかとは、具体的にいえば、何に喜びを感じるか、だ。
これは一人ひとりが見つけ出すしかない。
料理、読書、ブログ、魚釣り……。喜びを感じる手段は無限にある。趣味に限らず、洗い物をする、お風呂に入るといった、日常生活の営みにも喜びを見いだすことだってできるはず。僕は、洗濯したタオルをピンっと張って干すのが好きだ。
あなただけのささいな喜びは、あなたにしか見つけ出せない。手始めに、今日どんな喜びがあったのか思い出してみるのもいいかもしれない。
それが、幸せな暮らしを送る第一歩目になるはずだ。