唐突だけど、好きな人と花火がしたくなった。スーパーなどに売っているタイプのものだ。
あの火薬の匂い、プシューッという音。相手の顔を光が不規則に照らし、花火の先端をじっと見つめるその表情を僕は見ていたい。
顔のパーツにできた陰影はきっと美しい。その人は花火の光を見つめて何を考えているのだろう。キレイだとか、今日一日の出来事とかを思い出すんだろうか。
花火は、すぐに終わってしまう。だけれどそこが良い。
プシューッと光が飛び出す。勢いよく光かがやいて、少しするとだんだん弱くなってくる。徐々に飛び出す光が減っていって、しぼんでいって、消えてゆく。
それは一生を想像させる。命の短さを感じ、持ってきた花火がぜんぶなくなったとき、我々は後片付けをして帰宅する。花火をたのしむ時間も終わるし、今日という一日も終わる。誕生日がくれば歳を取り、老化とともに病気にもなって、人は必ずいつか死ぬ。花火とぜんぶ同じなんだ。
僕はさいきん、異性に寄せる好きだという気持ちだとか、異性をもとめる性欲のこととか、いろいろと考えることが増えた。
好きという気持ち。これは特別だ。2つとないオリジナルの感情だと思う。
自分が相手に寄せる気持ちと、相手が自分に寄せる気持ちにはズレがある。どちらも「好きです」といっていたって、その内容はまったく同じであるはずがない。
それはどんな感情についてもいえることだけれど、とりわけ好きという気持ちについては、自分と同様のそれを求めてしまいがちだ。だって、好きな人からは好きでいてほしいのだから。でも、そうもいかないのが恋愛の難しさだと思う。
性欲について。30歳男性のわりには自分は薄くなっている気がする。同年齢の友人の話を聞いてもそう思うのだから、おそらく平均よりも下回っている。
このままいけばマスターベーションは完全にやらなくなり、女性をみても性的な関心を寄せることもなくなって、僕は……男性として、生き物として、”完全に終わった人”になる。それがはたして悲しむことなのかはわからないし、残念なことだとも断定できない。
けれど、これがもし老化というものならば、老化ってつらいなって思う。
生きることの喜びはいくつかあると思う。その中に、花火を眺めているときの美しさを感じることや、好きな人と交わったときの幸福感がある。
今やりたいこと。それは花火だ。好きな人とやりたい。
きっと、幸せだろうと思う。