今日は2021年12月31日。現在19時40分です。
年越しの前に、今年を振り返って書き残しておこうと思います。
2021年 振りかえり
ちょこちょこ書いてきましたが、僕は今年4月から、長野県にある穂高養生園というところで住み込みで働いていました。
おもに畑仕事に従事し、その仕事が終わった11月末から再び関東に戻りました。現在は国家資格キャリアコンサルタントの勉強をしています。
今後の職業人生における方向がやっと定まりました。仕事について長いあいだ悩み考えてきたことへの、自分なりの1つの解答でもあります。
穂高養生園での生活
養生園に来るまえまでは、建築関係の仕事をしていました。体調を崩して退職したのは2020年1月のこと。それから1年間仕事をしないで休み、2021年から動き出したという流れです。
ずっと都会で育ってきた僕にとって、初の田舎生活になりました。仕事も土いじりになり、PCはまったく使いません。たまにスタッフたちへまかないご飯を作ったりもしました。
何もかもが未体験。一緒に働いたスタッフたちも、僕がこれまでに出会ったことのないような人たちばかり。うまくやっていけるかな、と当初は不安もありましたけれど、結果は素晴らしかった。
本当に来てよかったと、心の底からそう思っています。
内容の濃い1年でした。書けばずーっと書けてしまうほど。
知らない土地で知らない人たちと一緒に過ごしたことは、自分を見つめ直すうえで大きな手助けになりました。
とはいえ働かずにいた2020年はムダだったかといえば、それは大きく違うかな。
「ジャンプする寸前は踏み込んで沈む」
「夜明けまえがもっとも暗い」
そういう例えがありますが、昨年から今年はまさにそんな関係にあったと感じています。
昨年の日記を読むと……しんどかったことがよくわかります。
起源を知ることの大切さ
物事を理解するには、その始まりの起源(原点、源流)を知ることが大切です。
畑仕事は、その意味でとてもいい経験になりました。
僕たちは食べ物がないと生きていけません。その食べ物はどこからやってくるのかは、僕だってわかっていました。
けれど、知っていることと理解することの間には、体験することでしか埋められない穴があるのだと思います。
大好きな映画『マトリックス』に、こんなセリフが出てきます。
There is a difference between knowing the path and walking the path.
-道を知っていることと、実際に歩むことは違う。
畑仕事の経験は、これから生きていくうえで何度も思い出す気がします。いまの自分ではまだ理解できない、多くの示唆を含んでいるように感じるからです。
自分をふくめ、現代人の多くはスーパーで食材を調達したり、外食で食事を済ませる人が多くいます。どちらにしても、すでに死んでいる状態か、調理されて姿かたちがなくなっている場合がほとんどです。
「過程」がいっさい見えないのです。
命を頂いていること。
他の生き物と同様、生命の循環のなかに我々もいること。
それをちゃんと理解するには、体験するのが一番でした。
愛とはなにか
趣味の写真においても、大きく飛躍した1年でした。
僕はあまり人を撮影しないのですが、養生園に来てからはスタッフをよく撮らせてもらっていました。
「どうしてここにいる人たちのことは撮りたいと思うのに、いままで人を撮ることを毛嫌いしていたんだろう」。
そんな疑問がずっとありましたが、ここを去る寸前になってようやくわかりました。
愛です。
その人に、愛情があるかどうか。その違いが、撮りたいと思うかどうかを決めていました。
ここで働き始めた当初、1人に「愛ってなんだろうね」という疑問をぶつけたことがあります。その人はその人なりの答えを話してくれましたが、そのときの僕にはピンときませんでした。
僕には、愛とは何かがわからなかったのです。わかりそうで、でもよくわからなかった。それが、写真を通して理解できたのでした。
僕は、ここで交流したすべての人たちを愛しています。
さいごに
僕は蟹座なのでカニに例えると、この1年は「脱皮の年」でした。
これまでの人生で培われてきた思考、持っていたモノ、人間関係にいたるまで。それらを今一度見直し、不要なものは捨て、必要なものを取り入れることができました。
そもそも何が不要で何が必要なのか。その見極めはとても大事だし難しいポイントです。ここへ、昨年じっと動かずに静止していたことが一役買いました。
心の淀んだ水が、動かずにいたおかげで泥と水にきれいに分離したのだと思います。だから潔く、不要な泥を捨てることができたのでしょう。
前回の記事でも触れましたね。
生きていくうえで必要なものであっても、今はもう不要となったものがあるならば、それを認め、自らの意思で切り離す。人生の行き詰まりを突破するために、それが必要だったのかもしれません。
長野を出たあと、引っ越しをしました。新しい部屋にはこの1年で撮った写真が壁に飾られています。
みんながいてくれたから今の自分が存在できている。それは今年出会った人たちだけにいえることではありません。ブログでつながっている人もそうだし、前職でお世話になった人たちも同じです。
僕はもっと人を愛していきたい。人だけでなく、花も、空も、風も愛していけたらもっと素晴らしい。
そのほうがきっと生きていて楽しいでしょうし、愛を与え愛し尽くして終われる命なら、生まれてきた意味もあるのかもしれないな、と思います。
2021年、みなさまありがとうございました。
ではまた。
カメラ:LeicaM-P(typ240)、GR3