3年ブログ

3年間続けようと思い、現在8年目になりました。ネコ派ですが、最近ゴールデンレトリバーが可愛いくてしかたないです。

MENU

いつも見る夢について

f:id:nukoblog:20220212181541p:plain

ふと、夢の話をしようと思った。将来の夢といった前向きな話ではなくて、眠っているときに見る方だ。

 

夢には、潜在意識が投影されているなんて聞く。

これについて僕は、ほんとうにそうなんじゃないかと考えている。

 

 

探し続ける夢

いつごろからだったかは忘れてしまったけれど……大学生のころからかな、少なくとも社会人として働き始めてからは、よく見る夢のパターンは固定化されてきた。

それがこの「探し続ける夢」。

 

今朝もみた。起きてすぐ、ブログのネタにしようと思ってメモを残してある。

そこにはこう書いてある。

 

教室に入る。誰もいない。

生徒は課外学習で荷物だけ残されている。はやく準備しないと。服を脱いでジャージに着替えようとする。

でもジャージが見当たらない。仕方なく元着ていた服に着替える。

うまく着れない。はやく行かないとマズイ。焦る。

 

そんな内容だった。

重要なのは、このときの自分の心情だ。他の「探し続ける夢」には、こんな共通点があった。

 

  • 自分が集団のなかに属している
  • ほかの人たちはどこかへ行ってしまって姿がない
  • みなの元へ行こうとするも、どこへ行けばいいかわからない
  • 探し続けるが、見当たらない

 

探すのはなにも人だけとは限らない。モノや場所のときもあった。

いずれにしても、探して動き続けるのだけれどうまくいかない。焦る。どこだ、どこなんだ。あっちへ行ったりこっちへ行ったり。

だけれど、いっこうに見つからない。

 

学校が舞台だったとき。教室のドアをあける。ここか、と一瞬思うが間違っている。「あんただれ?」という顔を向けられる。急いで外に出る。

夕暮れの街なか。自転車でどこかへ向かっている。だがそもそもどこへ向かっているのかわからず、日が暮れるまでに「そこ」へ行かなきゃと焦る。がむしゃらに自転車を漕ぎ続ける。あたりが真っ暗になって目が覚める。

 

とにかく、どこかへ向かうがいっこうに到着しないとか、集団から置いてけぼりにされてみんなを探すが見当たらないとか……。そんな夢ばかりなんだよね。

悪夢ってほどではないんだけど、起きたときの気分はもちろん良くない。「またか」という、目覚めの瞬間からためいきが出るような感覚になる。

 

日常生活にて

夢についてはわからないことだらけだけど、僕の場合には一つだけわかることがある。

それは、こういう焦っている夢を見るときには、日常生活でも焦っている場合がほとんどだということ。精神的に焦っている状態が、少なくとも一週間以上続くと見られる、ということまでわかってきた。

 

焦っている状態は、社会人になってからずっと続く。いやもう少し前、大学生のころからかな。やはり夢を見始めた時期とほぼ重なっている。

その焦りとは、どうやって生きていったらいいのかわからない、という不安からくるもの。

おそらく、自分なりに答えが出せるようになるまでは、永遠にこの「探し続ける夢」は見ることになる気がする。

それほどにこの探し続けて焦っているという状態は、自分にとっての大きな課題なのかもしれない。あるいは、手放すべき執着なのかも。

 

カフカの『城』

夢とはそこしズレるが、僕が好きな本に、フランツ・カフカの『』がある。

城に住んでいる村の主から、土地の測量を依頼されてやってくるも、主人公はいつまでたっても依頼主に会うことができず、仕事もいっこうに進まない。そんな内容だ。

 

主人公の心情は一貫している。

依頼主に会いたいのに、あいだに役所など、さまざまな人間や環境が入り込んで会わせてもらえない。

与えられた職務内容を知りたいのに、いっこうにわからぬまま日々が過ぎていく。そんな毎日のなかで焦ったり、考えないように現実逃避したりする。

この小説が好きな理由は、自分の潜在意識にある焦りとリンクするものが多いからなのかもしれない。読んでいると……こう、自分のなかの見えない部分の、フチを撫でている気がしてならない。それがヘンに心地いいというか、安心するというか。

言葉にすると、そのどれもが違う表現になる。もどかしい。

 

でもきっと、やはり「そこに何かがある」のだと思う。

 

さいごに

みなさんはどんな夢をみるのでしょうか。

夢なんて見ない? それともここに書いたようなものではなくて、もっとファンタジーな感じで楽しいタイプのもの?

どうせみるなら楽しい夢がいいけどね。夢が潜在意識からのサインなのだとしたら、それをうまく活かしたいもの。

 

適応障害になったときだって、診断される数ヶ月前から危険サインが灯っていた。症状という点ではマイナスだが、生きていくうえではプラスであったと思う。

同じように、この探し続けて焦る夢というのも、なにかの布石なんだろうか。

 

ステップアップするための起爆剤なのか。あるいは切り離すべき執着という重荷なのか。

それはもっと先、たとえば10年後くらいにならないとわからないかもしれない。

10年経ってもまだ続いていたら、さすがにイヤだけどなぁ。(^^;)