トイレを流すレバーがない。
ない。ないのだ。水洗レバーが。ない。
どこにもなくて、個室トイレで途方に暮れた。そんな日記。
夕方。僕は公園にいた。写真撮影をたのしんだ。
僕は写真を撮るのが趣味だ。この日はカメラを2台持ち歩いた。カメラを2つも持ってどうするの、って思っただろ。違うんだよなぁレンズとかそういう、得意分野というのが。特徴が違うのよ。
写真を撮りながら、公園のあちこちを歩く。この日は平日で人が少なかった。
ベビーカーを押す親子連れ。子供がなにやら騒いでいる。散歩をしている老人の姿に、夕日にあたって影が伸びている。
穏やかな光景だ。
工事をしている場所があった。大きなトラックが2台、公衆トイレの前に止まっている。作業員さんが2人、カラーコーンを荷台に載せている。時刻は17時。どうやら仕事が終わったらしい。
お疲れさまでした。
お昼ごはんを食べてから歩き回ったおかげで、僕はいまお腹が痛い。痛いというより、便が出そうで早くトイレに行きたい。作業員さんたちを横切って、トイレに入った。
個室が2つ。1つには「故障中」との張り紙があり、もう1つが空いていた。そこに入る。
外でトイレに入るときに気をつけるべきは、紙があるかどうかだ。しっかり確認せねばならない。指差し呼称することをオススメする。
「トイレットペーパーよし」。
今回は急ぎなので指差し呼称はパスだ。目視で確認。早々にトイレのドアを閉めて、銀色の鍵をかけてすぐズボンを下ろす。
ところで今これを書いていて思ったけど、ズボンって言い方は古いんだろうか。
どこかで聞いたことがある。今どきズボンなんて言わない。おしゃれな人はパンツと呼ぶのだ、と。
本当か? そうなの?
パンツって言ったら、それおパンツのことにならないか?
僕は間違っても、おしゃれぶって「そのパンツいいね」とか言えないよ。「いやパンツっておまえ、下のことだろ」って言われそうだから。
それでいうと、鍵をかけたあと僕はまぁパンツをおろしてパンツをおろしたんだ。
便座に座る。思わず声が出る。
ふわあぁ。
トイレを我慢するのは良くないが、やはり出したいものを出したときというのは快感がある。
幼児は時期がくるとトイレットトレーニングをする。
精神分析医のフロイトは5つの心理性発達理論を提唱した。それによると、この時期のことは肛門期と呼ぶそうだ。ここで人は、排便に伴う肛門刺激に快感を覚える。同時に排便に失敗したとき、親に怒られたりすることでしつけがなされるのだ。
僕はちゃんとトイレットトレーニングを終えた29歳男性なので、単純に気持ちよかったです。
スッキリしたあと、おしりを拭いて、パンツをあげてパンツを上げる。
パンツパンツ。うるせぇな。
ベルトを締めて上着を着る。
後ろを向いて……ってところまでは良かった。問題はこのあと。
レバーがない。
いつもトイレの、向かって右側にたいていはあるはずのレバーが……ない。
いや、あるはずだ。水洗レバーのないトイレなんてトイレじゃない。
絶対にあるはずだ。
あるはずのレバーを、僕は一生懸命探した。
特に向かって右側を。ところが、何度見てもないのだ。
あるはずのレバーが、ない。
ないなんてことはありえない。
どこかにあるはずだ。トイレの左側もかがみ込んで探す。
ない。
壁にボタンがあるタイプかもしれない。壁も見る。
ない。
右の壁……ない。
左の壁……ない。
トイレ後ろの壁……ない。
トイレ正面の壁……これは僕がさっき「ふわあぁ」って言ったときに目の前にあった壁だ。
ボタンらしきものは、ない。
壁にないのだとしたら……まさか床か! 床にあるのか!?
床に、踏むタイプのボタンがあるというのか!
そこにはないだろう、さすがに。誤って踏んだら水がもったいない。デザイン的にNGだろう。でももし今のトイレ業界の最先端が、床ボタン式だとしたら……
ない。
そりゃあるわけない。床にボタンなんかない。
ここでひらめいた。
もしかしたらここのトイレ、実は古いタイプで、そもそもレバーなんかないのではないか。ぼっとんするタイプなのでは?
だが、そんなはずもない。もしそうなら、僕のあれもぼっとんしているはずだ。だが見てろ。目の前にあるではないか。ちゃんと鎮座しているではないか。白いトイレットペーパーに隠れた、あれが。
ふーむ。
どういうことなのか。
状況を整理する。
トイレの流すことができず、途方に暮れている。いまそういう状況だ。
いやこれを書いているここは駅チカのスタバだけれど。スタバでMacBookを開いている。隣には香水がちょっと強めの若い女性が座っている。たぶんかわいい。正面にはレジがあり、女性店員さんがコーヒーを用意している。美人なので、どうしてもチラチラ見てしまう。そんな中で僕はMacを開き、真剣な表情でうんこを流せない話を書いている。バカかよ。
あの瞬間へ再び戻ろう。
すなわちあのとき、僕はどうしたらいいのか途方に暮れていた。あんなこと始めてだ。お腹が痛くて駆け込んだトイレに紙がなかった、というのはままある。トイレが壊れていて水がちょろちょろとしか流れないこともあるだろう。
だが、レバーもボタンもないのは始めてだった。
四方の壁をくまなく探した。文字通り、上から下まで探した。床も探し、トイレ後ろのパイプ周りも見た。でもけっきょく見つからなかった。レバーが取れてしまったのだろうかと思った。だが不思議なことに、もともとレバーがあった形跡もなかった。
きっとあったのだろうと今になって思う。トイレとして設置された段階で、レバーはあるはずだからだ。だが、なかった。
仕方なく僕は、トイレのフタをした。そしてドアを開けた。このとき、かすかな希望があった。
もしかしたら、ドアの外にボタンがあるのかもしれないと思ったのだ。
でもやはりなかった。水洗ボタンがドアの外にあるはずないだろ。わかっていた。でも期待してしまったんだ。
その後、トイレをあとにした。
もちろん流していない。
ごめんなさい。
ところでその公園は、家から30分ほど歩いたところにある。今でもたまに行く。だが、あのトイレにはまだ一度も入っていないことを、たった今思い出した。
今度訪れたら、水洗レバーの答え合わせをしようと思う。もしかしたら「なんだよここにあるじゃんか」って思うかもしれないし、実はあのとき工場していたのはトイレだったのかもしれない。だったら「工事中のため使用禁止」とか張り紙はっとけよって思うけど。でももしそうなら、今ごろピカピカなトイレに生まれ変わっていることだろう。
最近、仕事関係の勉強で忙しく、楽しいことや嬉しいことがまるでなかった。一言でいうと憂鬱な状態だった。さっきトイレをして、そのときにこの話をブログに書こうと思いついた。書いててたのしい。
ブログってたのしいな〜。
今度、あのトイレにもう一回行ってみます。
続報をお待ちください。
ではまた。