やりたいことを、やろうと思った。
やりたいことを封じ込めて、やらなきゃいけないことに専念しようと思っていたけど。
けっきょく、やりたいことも満足にできず、やらなきゃいけないことにも手が伸びない。中途半端な状態になっていた。
昨年やっていた仕事を辞めた。いまは収入がない。
就職先を探さなきゃ。
資格取得の勉強もしなきゃ。
学校の課題も提出しなきゃ。
なぜ「どちらかにしないといけない」と思うんだろう。
どっちもやっていけない理由なんてないはずなのに、いつの間にか自分で自分を制限しようとしている。そういうクセが、ずっとある。そういうクセに、ずっと苦しまされて生きてきたというのに、気づいていながらまだ抜け出せていない。
先日、水着に帽子、ゴーグルを買った。
昨年から水泳をやってみたいと思っていた。本当は長野から東京に帰ってきた12月から始めたかったのだけれど、いつものクセで制限してしまっていた。
就職先によっては引っ越す可能性が大いにあるし、いつ就職するかもわからない。すぐ動けるようにしていたかった。プールにどれだけ通えるかわからないと思い、二の足を踏んでいた。
でも、もういいや。
やりたいならやったらいいじゃん。
制限しすぎて疲れた。
たしかにプールの会費が一部ムダになるかもしれない。筋肉痛になって翌朝動けなくなるかもしれない。実際に泳いだあとの疲労感は最高だ。
けれどもそれ以前に、やりたいのにできない、そうさせているのが他ならぬこの自分だということのほうが、いっそう自分に毒を盛っている気がしてならない。
他人の言葉や行動には壁をつくれるが、自身のそれには防御のしようがないのだ。内側から攻められたらどんな軍隊でも破滅する。
いいじゃん、やったら。
金持ちじゃないんだ。どうせ夏頃には就職している。資格試験もちょうど夏にあるのだから、勉強もせざるをえない。
自分を大切にする。言うのは簡単だが、実践するのは思った以上に難しい。
書いていて何をいっているのかと不思議に思う。自分を大切にするなんて、当たり前のことなのに。
ふと消えてしまいたくなるときがあるが、これは自分で盛った毒に侵され始めた合図なのかもしれない。
生きていながらにして死へ向かうことを自らの手で行い、それは嫌だとして退ける。それを繰り返す。おかしな話だ。こんな不毛なことをいつまでやったら気が済むというのか。もうそろそろ目を覚ましたい。
生きているんだから、前向きに生きていたい。死にたいというのも、本当はより良く生きたいという心の叫びなのだ。
自分で盛った毒、まだあるだろうな。
見つけ次第、取り除いていかなきゃな。