とあるゲームが、人生そのものを語っているように感じた話。
それは『 The Witness 』というゲームのレビュー記事に書かれていた。
それはパズルゲームなんだけど、言葉による説明が一切なく、パズルを解くルールすら自分で見つけないといけず、ストーリーらしいものもないのだとか。
プレイヤーはよくわからないながら始めるのだが、少しずつ、なにかを言いたそうにしている世界観を感じ、やり始めるとトリコになるのだと思う。
レビュー記事を読むと、非常に哲学的な内容だと思える。
で、なにが「それ人生じゃん」なのかというと、そのゲームの説明文だ。
“自分が誰なのか、どうしてここにいるのかも分からないまま、あなたは探検を始めます。謎解きの手掛かりを見つけ、記憶を呼び起こし、無事に家に帰れることを願いながら――”
レビュー記事より
ゲームをやってないからなんともいえないけど、これを読んでぱっと思ったのが先の感想。
そもそも、自分が誰なのか、ほんとうの意味では僕たちは知らない。
名前があるけど、それは親がつけたもの。社会生活を送るうえで必要だから、便宜上用意したラベル。
どうしてここにいるのかもわからない。どうしてあの年に生まれ、あの出身地で育ち、いまも生きているのか。
「人生は一度切りだから、たのしもう」。先輩がそう言っていたのを思い出す。
「せっかく生きているんだから、たのしまなきゃ」。昨年だれかにそう言われた気もする。
がん患者とその家族を診てきた清水研さんの著書『もしも一年後、この世にいないとしたら。』には、こうしたテーマについて書かれている。
僕もよくブログを書いていて思い出す本の1冊だ。また読み直そうと思う。