社会人1年半のときにはじめて適応障害と診断され、6ヶ月の休職を経験しました。
それから復帰したのち約3年後に再発、退職に至りました。
今回は、2度目の診断を受けたときの経験談をお話しします。
いまも適応障害で苦しんでいる人のためになればいいなと思っています。
経緯について
これから2度目の経験について語ります。
1度目の診断についての話は、下のリンクから読めます。
ご参考になればと思います。
なるまえ
入社したてのころは工事現場の現場監督として働いていました。入社1年半で適応障害になったので、復帰する際に内勤の部署に異動しました。
異動先は図面作成を担当する部署です。現場にいたとき、図面を描く仕事は唯一たのしかったので、そちらに配属していただくことになりました。
それなりに頑張っておりましたが、復帰から約2年経ったとき、再び現場に行ってくれと言われました。
理由は人手が足りないことと、図面作成のスキルアップのため。当時はオリンピック関連の工事が多かった時期です。会社としてはとにかく人が足りないのはマズイことなので、頭数を増やしたいのが一番の理由だったと感じられます。
私としても、自分のスキルアップのためには工事をしているその場で図面を描くことが必要に思われていたので、了承しました。
本当はイヤでしたよ。
工事現場には2度と行きたくなかった。もともと潰れた場所でしたから。
でもマジメな性格や責任感もあって、「(スキルアップのために)そうしなければならない!」と自ら尻を叩きました。
会社も「こいつは一度潰れている」というのは認識しているので、上司や一緒に働くメンバーには気を遣ってくれていたと思います。
けれど、私はずっと葛藤していました。本当はイヤ。だけれど自分の仕事にはスキルアップは欠かせないから、必要性も感じている。修行だと考えるようになりました。
なんどか休んでしまったこともあります。修行だとわかっていても、昔受けたキズあとは残っている。似たような負荷がかかればやはりツライです。
ときには「ようしっ!頑張るぞ!」と意気込む時期があったり、やはりツラくて休みながら騙し騙し働いていたり……。そんなアップダウンの繰り返しでした。
その上がり下がりを繰り返しながら、徐々に上向けばよかったのですが、そうはなりませんでした。
むしろゆるやかに下降していき、モチベーションは落ちてツラさだけが増大するようなっていきました。
なったとき
そうして限界を迎えたタイミングで、1度目の診断でお世話になった心療内科に泣きながら(本当に泣きながら)かけこんで、主治医に気持ちを全部ぶちまけた結果、2度目の診断をうけました。
2020年1月11日の出来事です。
会社を安易にやめるべきではありませんが、診断を受けてお会計のために受付で待っているときには、もう退職しようと決心していました。ホッとしていたのです。これでもう辞められる、と。
ずっと辞めたかったのに、辞められなかった。それは、辞めたあとどうしたらいいのかわからなかったからです。
「給料がゼロになったら生きていけなくなるのではないか」「次にやる仕事はどうするのか」「しばらく休みたいけど、ブランクがあると再就職は難しくなるのではないか」など……。
考えれば考えるほど身動きがとれなくなってしまい、結果として身体が急停止しました。
知り合いのマッサージ師の方が、以前こんなことを話してくれたことがあります。
頭が王様で、身体が国民。国民の声をちゃんと聴かないと国はどうなるかわかるよね。
身体の声をちゃんと聴くことは、ものすごく大事なことなんだよ。
私は頭がすごく強いんだと思います。
2度目の適応障害になったときなんて、王様が国民を無理やり動かしていたような状態です。毎日毎日、思考で肉体を動かしていました。
けれど、職場から急に消えていなくなれるほどの心の強さ、あるいは緊急回避システムを持ち合わせておりませんでした。だから、国民が一斉にストライキを起こすしかなかった……。
唯一ありがたかったのは、ストライキ程度で済んだことです。文字通り身体が動かなくなる場合もあったでしょう。
私の場合は、不幸中の幸いだったのかもしれません。
▽診断を受けた翌日のブログ記事
なったあと
2020年1月に退職しました。入社して約5年です。
退職したあと、もうほんとうに心が晴れました!
やっと水面から顔を出せたというか。どれほど身体を酷使し頭を異常に働かせていたか、回復していくなかで思い知りました。
退職後1年間は休むと決めて、お家周りでのんびりくつろぎました。ちょうどコロナが騒がれ始めた時期です。
近所を流れる川の近くで読書したり、好きな写真を散歩しながらたのしんだり。カウンセリングを受けたり、Go To トラベルを使って小旅行にも行ったりしました。
これ以降、適応障害における症状(めまい、吐き気、過呼吸)は一度もなく過ごせています。
▽カウンセリングで気がついたこと
あなたに宛てた、ただの手紙のようなもの
▽休んでいる間にやっていたこと
近況報告:カウンセラー学校に通い始めました、など
▽1年のお休み期間からのステップ
1年間無職だった僕が山奥で農業することになった話
さいごに
2度目の適応障害から2年が過ぎました。そういえ経緯について触れていなかったなと思い出し、これを書いています。
あれから出会った人の中で、やはり自分と同じように体調を崩した人の話も見聞きするようになりました。世の中にはけっこう多いようです。
一方で、相変わらず「ただの甘えだよね」という声も聞こえてきます。ですが否定はしません。人によっていろんな考えがあるし、人生経験も全然違うものですから。
人は理解してもらいたい生き物です。
このブログも、もともとは私がはじめて適応障害になったことがきっかけで開設しています。仲間がほしかったからでした。そして、復帰していった人のその後の歩みを知りたかったことも、いまになって思い出しました。
「復帰していった人」の中に私が入っているのかどうか、自分自身でははっきり申し上げることができませんが(3回目があるかもしれないので^^;)、それからこんなふうに生きています、というあり方を少しでもお伝えできたなら、書いた意味もあっただろうと思います。
いま適応障害で苦しんでいる方で、お話したいことがあれば「 お問い合わせフォーム 」からどうぞ。
私は医師ではないので診断はできませんし、アドバイスもできません。ただ話を聴くことと、「私はこうでこうだった」といった経験談を語ることはできると思います。
以上、長くなりましたが読んでいただきありがとうございました。
少しでも参考にしていただけたらと思っています。
ではまた。