お世話になったカウンセラーの大島さんが、YouTubeである体験談を話していました。
20代のころ、夏休みに北海道でツーリングに出かけた際のエピソードです。
麦畑で泣いた
詳しくは直接動画(音声のみ)を見てもらうのが一番いいので、ここには僕が感じたことを中心に書きます。
【休職中】今、辛い想いを抱えているあなたに聴いて欲しい話(音声のみ)【適応障害】 - YouTube
北海道の富良野市へツーリングに来た大島さん。地平線まで麦畑のような光景のなかにいました。
バイクを走らせていたとき、一瞬のうちに理解したといいます。
生きとし生けるものはすべて同じ。自分は個別の存在ではなく、全体の一部、地球も自分も同じ存在だとわかった。自分が溶けてなくなる感じがした。
一滴の水ならば、海に落ちて一体化するような感覚があった。
そうして全体に包まれるように感じたとき、ツーっと涙が流れたと話します。
涙の正体は安堵感だと思うと語り、こう続けます。
人類みな兄弟という言葉があるが、人類だけでなく、イヌでもネコでも、石ころも風も川も海も、みんな全部つながっていると一瞬のうちに理解した。どうしてそのような理解に至ったのかは説明できないが、とにかくそう感じた。
それから人生観が変わった。他の人と接しているときでも、どこか根っこではつながっていると感じるようになった。
ユングが主張した集合的無意識の概念や、科学者の唱えるアカシックレコード、ゼロポイントフィールドなどの考えと相通ずるところがありますね。
人生に無駄はない
麦畑での経験談、興味を持った人は、ぜひ動画で聞いてみてください。
スピリチュアルといえばそうかもしれませんが、1人の人生観の礎となった出来事のエピソードなんて、そうそう聞ける話じゃないですから。
冒頭でも触れましたが、僕は大島さんのカウンセリングを実際に受けてお世話になっています。適応障害になって退職したタイミングです。2020年のことでした。
麦畑の話は、大島さんと出会っていなかったらおそらく見聞きすることはできなかったでしょう。
ある人は「人生に無駄はない」と断言していましたが、病気になったことで得られた知見はたしかにあったのかもしれません。
さいごに
あとで調べたら、北海道の富良野はラベンダー畑のある場所だったのですね。
先日、ラベンダー畑に行きたいとブログに書いたばかりです。そこは僕の思い出のルーツなのです。
公園を歩いていてふと思った。 砂を踏んだ音が、とても懐かしい。 たしか、北海道のラベンダー畑だった。 自分が歩いても音がしないのに、親(たぶん父親)が踏んだときには一歩ごとに踏む音がして、それがなんとも心地よかったのを覚えている。 その音に、似ていた。
芝生、ラベンダー畑、どんぐりの日 - 3年ブログ
北海道かぁ……就職する前に長旅に出るのも悪くないかもなぁ。