人と会うことに毎回感謝する人がいる。そういう人の心模様がいまいちわからなかった。
そもそも感謝という気持ち自体、自分のそれは本当に感謝なのか。〇〇だからホンモノです、なんて言い切れないし。どこか疑問だった。
でも、少しずつわかってきたような気がしている。自分のなかで腑に落ち始めた。
というのも、とくにビビッと来た出来事はないのだけれど、いろんな出来事を重ねて、その中心を通る一本の線みたいなもの、共通する軸のようなものに気がつき始めた。
いまは2022年。これはある時点から数えて2022年間経ったというだけで、人類はそれ以前から生きていた。
もっといえば、生命はずいぶんと昔から地球で暮らしているし、さらにさらに奥へ考えていけば、宇宙の誕生まで遡る。宇宙が誕生したことがスタート地点ともわからず、もしかしたらそのさらに前があるのかもしれない。
時間という側面でみていくと、ものすごくながーい年月が経過した結果がいま。そして人に限定し、1人の寿命を仮に80年だとしたら、今出会っている人たちはお互いの80年がたまたま重なっているのだと考えられる。
しかも、さらにたまたま同じ地区で暮らし、そのうえで同じ空間にいたりする。それってすごい確率だと思った。ブログはちょっと違うけれど、同じサービスを使って言葉をやり取りしているという点では、奇跡的であることに変わりはない。
それが奇跡的であるとどこかでハッキリと感じ切った人から順に、心の底から感謝という気持ちがわいてくるのかなと思いました。
「出会っていることは奇跡なんだ」という話もたまに聴くけれど、ほんとうに自分ごととして感じるにはなかなか大変なんだと思う。そういうことに頭をフル回転させて想像し、じーっと考えていられるのもむずかしい世の中だから。
この話にオチはないです。今日は天気がよく、河川敷で座って日光浴をしていたら思いついた内容を書きました。
この先またじっくり時間というろ過を経て、考えが熟成されるのかもしれませんね。
そういうときに、また触れようと思います。