ハンバーガーを食べていると、左手にある傷跡が目についた。
左手の人差し指の上に、小さな切り傷がある。
この切り傷は、たしか高校生のときにできた。プリント用紙で切ってしまい、それが跡に残った。
年をとってシワシワになってもこの傷跡は残るんだろうなってことを、傷跡を眺めながら思った。
最近、よくおじさんを見かけるとそこに自分を重ねてしまう。
こんなふうに地味な服を着て本屋にでも行くのだろうか。頭はこんなふうにハゲるんだろうか。隣を歩く人はいるんだろうか。杖は使いたくないな……。
見かけると、その他いろんなことをポツポツと考えたりする。
たぶん、未来が行方知らずなんだと思う。
自分自身がこれからどこへ行き、何をするのかわからない。それ考えるとワクワクする人もいるけど、それはちょっと理解できない。ワクワクなんかしないでしょ。そんな人たちは、生まれつき心の構造がポジティブ寄りになってるんだと思う。
ワクワクできるのってすごいと思う。ワクワクするにはまず、心理的な安心感がベースにないといけないんじゃないか。それがあってこその、楽しめる余力が生まれるような気がする。
ジェットコースターと似ている。故障しないし、空中に放り投げだされることはないだろう……。そう思っているから乗って楽しめる。
もし、ひょっとしたらアクシデントがあって怖い思いをするかもしれない、なんて気にしているなら楽しめるはずがないから。
おじさんを見かけると眺めてしまうのと同様に、最近は死についての本によく手を伸ばす。
終わりが知りたいんだよね。こういうふうになるのか、っていうことを知ることで安心しようとしている。
再び、人差し指の上の切り傷をみる。
不思議だよね。食べたり飲んだり、空気を吸ったりして、身体を構成する粒子は入れ替わっていくはずなのに。傷跡はそのままの形で10年以上もここにある。
感情や心、記憶というものも不思議。なんなんだろうこれらは。どうやって保持されているんだろうか。
食べていたハンバーガーは、僕のどこと置き換わっていくのだろうか。