斜めからの日差し。斜面に自分の影が長く写る。
歩きながら、自分の影も歩くのを見る。
自分が物体として存在していることが不思議に思えてくる。
光があたって影ができる。
影は、ここに存在することの証明だ。
影がなかったときを知っているのではないか。
そんな気がした。
スーパー。人とすれ違うときに目が合う。女性。2人。
目が合うということは、自分が見ていて相手も見ていたということ。そして見られていたということ。
すなわち、人として認識される形で、そこに確かに存在していたということだ。
存在しているのに、誰とも目が合わない。
そういう時期があったのかもしれない。
だんだん、寒くなってきた。
マスクをしているとメガネが曇る。
息が白くなるのもそろそろかもしれない。
なにもない。
いや、毎日なにかしらあるのだけれど、僕がいる場所までは届かない。
昨日は勉強会仲間たちとオンライン飲み会があった。たのしかった。
一昨日は古着屋で買ったジャケットの袖丈を調整してもらいにいった。UNIQLOの感謝祭でほしかったコートを買い、撮りためた写真をパソコンで整理した。
今日はふいにドーナツが食べたくなって、ミスドに行った。
毎日なにかをしているが、心ここにあらずといった感覚がする。
光の届かない深海に漂っている。
力の抜けた海藻みたいにユラユラと。
でも、そんなときでも身体はある。
光にあたれば影ができ、人とすれ違いざまには目があってしまい、マスクをすればメガネが曇る。
頬を触る。両手を合わせる。
たしかに触れる。
なのに、心だけが真っ暗な地下室に行ってしまって帰ってこないみたいに感じる。
同じ入れ物のなかにいるのに、なんだか今は離ればなれだ。