心療内科に行ってきた。
名前が呼ばれるまで待っているあいだ、ボーッとしていてふと思った。ここに来てから7年経つ。なんでこんなことになっちゃったんだろうって。情けなくなった。
ちょうどこのブログを開設したときと同じ時期だから、ブログが続いているのは嬉しいことだけれど、病院に通い続けていると思うと悲しくなった。
よくある話だけど、以前フェイスブックを見たときに、タイムラインで知り合いの写真が流れてきた。大学の同じクラスだった人が自分の子供を抱っこしている写真だった。彼とは同い年。
一方は大企業に勤め子供が生まれており、他方は中小企業に勤めたり辞めたりしながら彼女もいないときてる。フェイスブックなんて見るもんじゃない。
人の不幸は比較から始まるって誰かが言っていた。本当にそのとおりだ。病院で情けなくなったのは、理想と現実を比較したからだろう……。理想の自分と今の自分を比較してしまったのだ。比較対象は自分でもダメらしい。
それはそうとして、でも悲しいものは悲しい。
理想と違う現実でも、受け止めなきゃいけないのか。「人生思うようにいかない」という言葉の意味はこういうことなのか。だとしたら、今を生きている僕より年上の人たちは、なんと強いことだろう。感心せざるを得ない。
街中で老人を見かけると、思わずじっと見てしまう。自分がその歳まで生きているかどうか知りたくて、自身を重ねてしまうからだ。
今日は公園でゲートボールをしている老人たちを見かけた。あの人たちも理想と現実のギャップを受け入れてきたんだろうか。そう考えると長く生きている人ってすごいなって思う。むろん、ほぼ理想どおりに生きてこれた人には魅力も興味もないけれど。
比較しないで生きるって難しいことだ。まるで片足で立っているみたいに思える。右に揺れたら左へ微調整し、左に揺れたら右へ微調整する。ブレブレなのだ。
自分だけを意識していると思ったら、次の瞬間には他人へ意識が向かっていく。過去の自分も思い出し、未来の理想的自分にも意識が動いていく……。
中心を定め、揺れるまでもなく瞬時に微調整できたらいいのにな。
みんなはそんなこと、考えないんだろうか。