なんだか憂鬱で何もする気がおきなくてつらかったので、昨年読んだ本を再読した。
元気がないので、とりあえず第1章「アイツにはないがオレにはある」だけを読んだ。つらい気分が少しだけ和らいだ。
その感想を書きたい。
たしかに青春時代というのは小さなことで悩むし、その数も多いでしょう。だからタテマエとして「悩みなさい」とぼくもいいます。
でもホンネをいえば、「最後には必ずよくなるものだよ」ということです。そういう気持ちを自分でも持っていたほうがいい。いま悩んでいることを、これがすべてと思わないほうがいい。
思い返せば高校生のときからずっとつらい。つらいことが多かったのではなくて、状態としてつらい。15歳から30歳までずっとつらい状態が続いている。そんなふうに僕自身は自分のことを思っている。
つい先日、たまたまTwitterを見ていたら「大学生時代がとてもたのしかった、卒業して数年たった今もたのしい」と言っている人がいて嫉妬した。いいな、羨ましいなと思った。そして、彼の言っている意味がわからなくて悲しくなった。
僕の大学生時代は、たのしいことがなかったわけではない。たのしいこともあった。けれど、「たのしかったです」とは言えない。そのときも、やはり状態としてのつらさを感じていたからだと思う。
いつこの状態から抜け出せるんだろうって、思い出したときにふと考える。考えても逃げ道は見つからなくて、そのうち考えるのを諦める。その繰り返しが今日になる。
そんな気持ちで今も生きているから、「いま悩んでいることを、これがすべてと思わないほうがいい。」という言葉がとても良かった。
若い頃は、たとえば傷を負ってもツバをつけて放っておけば治ってしまう。われわれが人生で受けるダメージも、同じように治っていくんです。治すのではなく、治っていくのです。
本当でしょうか。
信じたい気持ちと、これだけつらいんだから治るわけないだろという怒りの気持ちがある。
とてもイヤな考えだけど、どうしてみんなは上手くいっていて僕だけ上手く行かないんだろう、という気持ちがある。
みんなは上手くいっている、というのは見かけ上の話で、実際は一人ひとり自分のフィールドで闘っているのだと思う。そう頭で考えたって、感情が先行してしまう。
わかっている。自分の人生は自分だけのもので、他人と比べることに意味はないのだと。
わかっているはずなのに、わかった瞬間、わからなくなる。目移りしてしまい、他人と比較して自分を責める。また、比較無しでも自分自身がつらいと感じるため、2重に苦しむ。それで憂鬱になる。
人間、憂鬱になるというのは齢を重ねて白髪が出るのと同じように自然なことだと考えたらいい。肉体のリズムがそうなっているんだから。要するに、一種の通過儀礼です。リズムに任せておけば必ず通過できるものです。
通過儀礼にしてはあまりに長すぎると思うんだけど、またこの本の第1章を開きたいと思った。
元気はでないけど、なだめるくらいにはなりそうだ。