ぬこです。
昨日に引き続き、早起きトレーニング2日目です。今日の朝食はフルグラね。
起きるのが少しツラかったな。昨晩はなかなか眠れなくて、3時30分まで小説を読んでました。
眠ることと死ぬこと
さて、本日のテーマは昨日のエントリで紹介した本のつづきになります。
昨日の夜、全然眠れませんでした。
0時になって眠くて布団に入ったのですが、あれこれと考え事をしてしまって、時計をみたら1時30分。あぁこれは、無理に寝るのは良くないと思って、起きて小説を読みました。再び布団に入ったのは3時過ぎです。
わたしはこれまで、すごく憂鬱になって何もかもイヤになってしまったとき、よく寝てました。眠くなるのではなくて、意識を切断するためです。
起きているから苦しむ、悩む、迷う。死にたくなったりするわけですが、それは「何も感じたくない」からです。そこでいっそのこと寝てしまう。何時間でも。時間の許す限り。
で、それと非常に似たことが上の本で書かれていて驚いたんです。自分だけじゃなかったんですよ。
著者の泉谷閑示さんが言うには、不眠症の人には無理に寝る必要はないと伝えるそうです。無理やり寝るのはよくない、眠れないのではなくて、心が寝たくないと言っているメッセージなのだ、と解釈するんですって。
ではなぜ患者は眠れないのか。そこで、眠ることと死ぬことに共通点があるのです。
死ぬことは、人生に幕を下ろすということ。眠るという行為は、いわば1日の幕を下ろすことに他ならないのです。眠れないというのは、すなわち「今日という1日を生きた感じがしない」という心の意志だというのです。
これ、まさにわたしが思っていることと同じです。死にたいからこの1日を終わりにしてしまおう、という気持ちです。
では眠れないとき、まだ1日の幕を下ろしたくないときはどうするか。そんなときは、自分らしい時間を過ごしてほしい、と泉谷さんは言います。
今日にまだ未練があるから幕を下ろせないのです。だから、自分のやりたいことをやってあげる。すると心が満足して、「あぁ今日はいい日だった!」と充実感に包まれる。そうしたら、夜はスッと眠れるんですよって。
たまに、眠れないときは運動するといいって言う人がいます。体温が上がり、下がるときに眠りやすくなるからだ、という話なようですが、運動が嫌いな人にはむしろ逆効果。人によっては読書だったり、日記を書く、音楽を聞くことだったりします。
さいごに
それで、昨晩わたしは小説を読んだのでした。
深夜はほんとうに静かです。ほとんど物音がしない。そんななかで本を読めるなんて、最高ですよ。まぁ寝たのは3時半なので、7時に起きましたから当然眠いです。
一番いいのは、寝る前に「今日は充実した1日だったな」と思うことです。思い込むのではなく、そう自然と思えること。
それが一番いいですよね。