3年ブログ

3年間続けようと思い、現在8年目になりました。ネコ派ですが、最近ゴールデンレトリバーが可愛いくてしかたないです。

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水面を空から見るか、海底から見るか

 

先に結論をいいますが、最後まで読んでもよくわからないと思います。

生死に関することを書いています。

最近、心臓が痛いです。

***

 

たぶん、2〜3週間くらい前からだったと思う。

 

これといって思い当たる節はないのだけれど、あるとすればコロナワクチン4回目を接種したのと、塩分を取りすぎた日があったことくらいか。

どれくらい関係があるのかわからないし、病院にも行っていない。

いまのところ、診てもらう気もない。

 

近いうちに、心臓がギューッと苦しくなって止まる瞬間が来るんじゃないかと思っていて、それを待っていたいという気持ちがある。

 

死を意識する時間も増えた。精神的な苦しさから死にたくなることはあったが、今回はそれとは違う。肉体的な痛みとしてそれを感じる。

 

よく思うのは、みんないつか死ぬってこと。

これは本当に本当なのだ。

 

就職活動で、人と会う機会が多くなった。

 

面接対策の講座に参加したときのこと。

そこでは同い年くらいの人もいるし、40〜50くらいの人もいた。集まっている人たちはみな正社員としての職を探している。僕もそのうちの一人だった。

 

けれど、彼らもやはり100年後にはこの世からは消えているだろうと思った。その間に、彼らの何人かは子供をつくる。自らの遺伝情報の半分を後世に残す。あるいは趣味に仕事にと没頭し、一生を満喫する者もいる。または生に絶望して自ら幕を下ろす人もいるかもしれない。

どうであれ、いずれこの世からいなくなる。残りたくても残れない。地平線から顔を出した太陽は、時間とともに地平線の下へ沈む。

 

いつか死ぬという事実を無気力の材料にしているのではない。

にもかかわらずがんばっている僕がいる、ということに不思議な驚きがある。だからこれを書いている。

 

履歴書と職務経歴書を会社ごとに作成する。自己紹介と志望動機を考えた。なのに面接の場で全部忘れる。アドリブでしゃべる。あとになっても何を言ったか思い出せない。

気分があがらず散歩に出かける。図書館で本を借りる。返却催促が来て急いで読む。ほしいものがある。だが節約を意識して買わない。

 

でも最後は死ぬ。そう思うと不思議な感情になる。

肩のちからが抜ける。けれど完全にダラリとはしない。ヤケクソになって酒に溺れたり、ほしいものを買い込んだりもしない。就職活動を投げ捨てたりもしない。

どうしてなんだろう。

 

明日がまだあると思っているからだろうな。朝が来て夜になったら、また次の朝がやってくる。これは当然だと思っている。

 

ほんとうに、近いうちに死ぬとしたら、自分は何がしたいんだろう。

後悔することってなんだろう。

 

考えてみるけど、恋がしたかったとかあの服を着たかったとか、村上春樹の小説をもっと読みたかったとか、ジョン・ウィック4を見たかったとか。

……なんか、どれもくだらないな。

でもそんなもんだよな、人生って。

 

別に人生に大きな何かを期待しているわけじゃないんだ。

ただ書いてみて、そんなもんだよな、と素直に思ってしまった。

 

始まりに意味がないなら、終わりにも意味なんてありゃしない。

生まれたことに意味なんてない。同じく死ぬことにも意味はないんだろう。

 

それでも、意味がほしくなってしまう。どうしてかわからないが、それを欲するようにプログラムされているように。だが意味を持ってしまうと、それはやがて執着になる。思考をしばり、死を受け入れられなくなるのではないか。それも怖い。

 

生まれるとか死ぬとか、そういう点として現象はどうでもいいんだ。大事なのは面だと思う。生まれてから死ぬまでのあいだのストーリー。すなわち、どう生きていたいか、という意志だ。

 

ここでおもしろいことを思いついた。

 

面ということは、表と裏が存在する。

もしかしたらどう死んでいたいか、が裏テーマとして存在しているのかもしれない。それは死んでみないとわからないよな。空から水面を見るのか、海底から水面を見るのか、といったふうに。

 

あぁ、これを書いているあいだにも心臓が痛い。

痛いというか、負荷がかかっている感じがする。そしてときどき鈍くうずく。

 

これは悪くないと思う。

残念なことでもない。

我々はいつか死ぬ。忘れていたり、見ないようにフタしているだけだ。でもそれは常にある。好きにしたら良いと思う。

 

たまたま生まれたのだから、いつかのタイミングでたまたま死ぬんだ。

現在は2022年11月28日02:47。このときにはまだ生きているが、少なくとも100年後の2122年には僕は確実にこの世にはいない。この心臓の痛みとは関係なく。そういうもの。

 

 

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