夜、誰もいないところに行って、わけもなく叫びたくなることがある。
まだそうしたことは1度もないけれど、自分のなかにそうした衝動があることは知ってた。でもそれが何なのか、どういう心理なのかはわからなかった。
この中村文則の『何もかも憂鬱な夜に』という小説は、何年か前から手元にある。3年前には本棚にあった気がする。買ったような気もするが、家族からもらった気もする。いまではサッパリ覚えていない。
2ヶ月前に引っ越しをした。そのとき、持っていた本の半分ほどを処分した。
まだ読んでいない本、一度読んだけど再び開きそうにない本。いつか読みたくなる気もするけど、それがいつになるのかわからない本。そういうのを全部、処分した。
この本は、そうした ”選抜試験” をくぐり抜けた1冊だ。
タイトルに『夜』とあるように、これは夜中に読んだほうがしっくり来ると思う。終始ジメーっとした雰囲気が続く。それこそ夜に感じるような、自分だけが世界から、社会から置いてけぼりにされている感覚と相性がいい。
そんなとき、1人膝を抱えてうずくまることもできる。けれど、手元にだけ明かりをつけて、1冊の小説を開くほうが気分は落ち着くと思う。なにより ”終わり” を用意してくれる。
ストーリーについて。
主人公は刑務官として、死刑がさまっているある被告人を担当している。彼は自分がそろそろ死ぬというのに、なにかを隠している。隠したまま、死のうとしている。社会から死刑を求刑する声がよせられるなか、主人公は自分の生い立ち、経験を振り返っていく。
そんな内容。
読み終わって、べつにスッキリする話じゃない。あと味が悪いってわけでもない。じゃあなんだっていうと……この小説は、苦悩そのものを文学に変換したような存在だと感じた。
苦悩だからツライのかといえば、それも違うんだけど……。ほら、人の感情って一色じゃないでしょう。いろんな色が混ざっているし、つねに色が変わっていく。明るく鳴ったと思ったら暗くなったり。濃くなったらすぐ薄くなったり。
でもそれは凡人だとうまく言葉にできないんだけど、この小説を書いた中村文則という人は、うまくいえないことを、うまくいえないままに物語へと変換してしまう。それはなんだか魔法みたいだ。
だから読んでいるときも、読み終わったあとでさえ、感想がうまくいえない。まぁそれは僕の語彙力が少ないだとか、感想を書くのがヘタだからってのも関係しているとは思うけれども。(^^;)
いずれにせよ、僕はこういう小説は好きだと思った。
なかなかないと思う。憂鬱なときに、その感情をより沈めるでもなく、無理やり引っ張り上げるでもない。寄り添うっていうほど優しいものでもない。
あえて言えば、やわらげるって感じなのかな……。しょっぱい食塩水に水を足して、薄めてくれるような感じ……?
うーん、うまくいえない。けれど、この作品は好きだなってことは確かです。
さいごに、この本の巻末で又吉直樹の解説が載っている。
そこに冒頭と同じようなことが書かれていた。
大声で叫び自分の周囲にある鬱陶しい膜のようなものを破り裂きたいと思ったことはないか。あれは何だろうと考えたことがある。生まれようとしているのかなと思ったことがある。
人間が叫びたい時、それは自暴自棄になっているのではなく、生まれようとしているんじゃないかと思ったことがある。そうだったら良いなと思った。人間の人生最初の咆哮は産声である。
『何もかも憂鬱な夜に』という小説は、憂鬱を切り裂いて、中から新たに産まれ出ようとする物語だ。
自分のなかにそうした衝動がかすかにでも感じられる人がいるならば、一読してみるのもいいのかもしれない。
そう思いました。