数ヶ月に一度、読みに行くネット記事があります。
それがこちら。
亡くなった人が生前残したブログ記事やSNSについて、故人の苦しみや残された人たちの思いを追っていく内容です。
以下、紹介文。
故人が残したブログやSNSページには生前に残された最後の投稿に遺族や知人、ファンが“墓参”して何年も追悼する。
なかには数万件のコメントが書き込まれている例もある。
故人のサイトとどう向き合うのが正解なのか? 簡単には答えが出せない問題だが、先人の事例から何かを掴むことはできるだろう。
具体的な事例を紹介しながら連載で追っていく。
死を見ない人たち
僕がこの記事を読み続けている理由というのは、生死に関わるリアルな状況が語られているからです。
現代は死を隔離し、見ないようにしている雰囲気があります。
でも人も含め、生き物はみないつかは死ぬのだし、それを常に頭の片隅では意識しておきたいと本気で思うのです。
だけれど、頭の片隅にしばらく置いているとホコリをかぶって見えなくなってしまうので、たまに引っ張り出しては光を当てて、あらためて意識するようにしています。
先ほども読みました。享年37歳、ベーシストで空手家だった女性の話でした。
残されたブログ記事やSNSは、故人本人が書いているものです。日常がものすごくリアルに語られています。
そうした声に接して思うのは、いま抱えている悩みとか、あるいはやりたいと思っているだけの事柄だったりが、死をまえにするとすべて吹き飛ぶということです。
死というのは、この世の真実の1つですから。
それが唐突に突きつけられた人の衝撃といったら、いま自分が感じているよりも数百倍の規模だと思います。
大きすぎて、文字通り頭がまっしろになってしまうのかな。
お坊さんの話
一昨年、会社をやめたあと仏教を学んでいた時期がありました。
そこでお坊さんが、何時間もかけて歴史を語るんですよ。宇宙の誕生から、現代までの流れを。たぶん、総時間20時間くらいはあったと思います。
「仏教のことを知るまえに、まずは歴史を知りなさい」。
お坊さんがそう言った理由は2つありました。
1つは、この混迷の時代をどう生きていったらいいのかを考えるには、これまで人間がどう生きてきたかを知ることが大事だ、ということ。
もう1つは、遠い昔を思い浮かべることは、自分を離れ、瞑想状態にしてくれるから、ということでした。
故人の声を聴くという行いは、長いようで短いかもしれない人生をイメージすることにもつながります。
生きるエネルギー
日常を過ごしていると、どうしても思考の時間的広さがせまくなってしまい、たとえば30年後のことなど考えないのです。
でもそれを考えることで、いま抱えている悩みは小さなものだと気づくかもしれません。
あるいは30年後なんて来なくても済むように、いまやりたいことをやろうとするエネルギーも湧いてくるでしょう。
死を意識することは悪いことではないと思うし、ひょっとしたら生きていくエネルギーにすらなるのかもしれませんね。
ではまた。