今日は10時間くらい眠った。
なのに、いっこうに咳が治らない。
それに、夜ご飯を食べてから具合が悪くなったように感じて熱をはかった。けれども体温計は36.4度。いたって普通だった。
なんなのだろう。体調が全然よくならない。
咳や肺ダメージが、昨日より良くなっている気がしない。でも3日前よりかはマシになっている。そう思いたい。
先日がん患者の闘病日記本を読んだこともあって、自分はがんにでもかかっているのではないか、なんて考えたりする。
いま死ぬとしても、それもいいと感じる。今年30歳。死にたくない理由は特に思い当たらない。それはとても残念なようだけど、一種の身軽さがある。
道半ばで死ぬのが一番いい。人生はいつだって途中なのだ。終着点なんかない。むしろ何かをやりきって燃え尽きたようにしてボーッと過ごし、日に日に弱っていって衰弱死してしまうより全然いいと思う。
ある場所へ向けて歩いていて、その途中で息絶える。そのほうがまだ希望のうちに死ねるんじゃないか。
先日、思うことがあって部屋を整理した。
「心の状態は部屋の状態とイコールですよ」。誰かがいっていた。
スーパーのレジ袋に入れたナッツやお菓子、スティックタイプのコーヒーなどを、紙袋のなかに整理整頓した。
使いにくいと感じながらもレイアウトを変えるのがちょっと面倒だからと放っておいたラックの仕切り。これの配置を変えて、デッドスペースの活用に努めてみた。
モノもどんどん処分した。
好きになれない柄でずいぶん前に取り外したけれど、いつか使うかもと思っていたカーテン。
悪くはないけれど好きになれないスニーカー。
買ったはいいけどほとんど使っていないタブレット。
メルカリに出品すると、すぐに売れた。
3年前から書いている日記帳があった。これは捨てた。
これまでは、過去があるから今がある、ツライときは日記を見直して支えにしようって思ってた。
けれど、実際は過去のツラさが現在も引き継がれていることを再確認するためのツールとなってしまい、支えなんかとは程遠い存在に思えてきてしまっていた。
毎日書いていたのに、ある時から書かなくなった。書く意味があるのなら書きたい衝動が沸き起こるはずだけど、なんにも起こらなかった。もともと日記なんて書いてなかったくらいに思えて、ゴミ箱に放り込んだらスッキリした。
生きることと死ぬことが、とても変に思えてくる。そもそもよくわからないことを考えているけれど、なんか、変だなぁって。
死後の世界はないと思っている。あると思いたい人がこの世に一定数いるだけで、本当にあるのかないのかはわからない。
僕が死んだら、何人かは悲しむのかもしれない。そのうち何人かは数年で忘れてしまい、何人かは何十年も残念に思うのかもしれない。けれど今日も誰かが自殺や病死、事故死になっていて、さらに遠くの国では戦死もあるだろう。
この世というのは時間でみればつねに均一に、誰にでも平等に流れ過ぎていくけれど、ある人にとっては心の中の時間はある時点で止まってしまい、あるいは止めている人もいると思う。そんなふうにして今があって、それが今日まで続いていて、これからも続いていく。
この世は生きている人の世界だけれど、生きている人だけの世界ではない。実際にはミルフィーユみたいに、生きている人たちの間に死んだ人の存在が折り重なって存在する。
なんだろう。やっぱりよくわからない。それくらい生と死はとても大きなもの。大きなものだから、人によって感じ方や考え方が真逆だったりもするんだと思う。
寝て、起きたらこれまでの日常がガラリと変わっていたらいいのに。
そう思って、フランツ・カフカは「朝起きたら芋虫になっていた」なんてシチュエーションを思いついたのだろうか。
僕も、寝て起きたらなにかが変わっていてほしいと思う。このさい芋虫でもいい。
それくらい咳がツライし、代わり映えのしない毎日に鬱屈としている。
とたんにこの曲を聞きたくなった。
何かが終わって、何かが始まる予感のする曲調。
ウサギを追いかけ、ラビットホールへ。
Jefferson Airplane - White Rabbit (Official Lyric Video) - YouTube