サブブログ『10年先を思い出して。』の続き。
今日も午前と午後でそれぞれ1回ずつくらい怒られた(指摘を受けた)。相手は「それくらいできて当然」「わかって当然」と思っているらしい。それができていないこちらの姿にイライラする模様。
こちらも内心イラっとくる物言いや行動があるのだから、相手にそう思わせてしまうことがあっても不思議ではないと思う。
ところが、仕事がわかっていないのは自分の方で、歳が若いのも自分であることで、両者の間にはどうしても上下が生まれてしまう。その結果、上から強く当たられるように感じられるし、当たっているのかもしれない。
所詮仕事。そんでもっていつか死ぬってこと。
何かにつけて期待をしてしまう。そういう癖があるということに昨年気がついた。まるで健康診断の結果どこかでポリープが見つかったみたいに。いつの間にかそれが自分の中にあって、いろいろな悪さをしてた。
とはいうものの、気がついたからといって好転するわけではない。気がつくと、「あっこれもだ」「あっこっちも」という具合にどんどん気がついていく。根絶するにはその過程は必要だが、初めのうちは苦労する。
仕事に期待をすることを引いて見ると、その根っこに向上心があるように感じる。向上心は根っこから先端に行くにつれ、グラデーションのように期待へと変化する。
そのようにして生まれた期待は、まるで古い角質のようなもの。硬すぎる角質はヒビ割れて血を流す。削ればモチモチするが、弱い皮膚には血が滲む。
硬くなりすぎた角質は自然と剥がれるか、あるいは意図的に削る。成長しすぎた期待は自然と削り取られるか、さもなくば意識的に調整したほうが良いかもしれない。
はぁ……
俺は仕事を含め、人生によせる期待をゴリっと削り取りたい。そう思えば思うほど、いつか忘れたことにそれがやってくる。時差で願いが叶う。子供が生まれた年に末期ガンが発覚する、みたいに。
そんなふうに考えるから、いつでも死ねるようにしていよう、と思ってしまう。
そしてこの思考が、現状さらに首を絞めていることもわかっていながら。
本当は、今日は休みたかったし、そのままドロップアウトでもいいやとも考えた。
けれど、2時間しか眠れなかったのに5時にスッキリ起きてしまった。
30歳。俺なにしてんだろう……
こんなんで良いんだろうか。