電車に乗っていて、そのとき吊り革につかまって立っていた。
夜の窓に顔が写る。次の瞬間そっと消えてしまいそうな表情をしている。生気のない顔だった。
ふと、隣に立っている人がニコニコしていることに気がついた。
誰と喋ってるわけでもない。音楽を聴いたり、動画を見たりしているのでもない。マスクをしていたが、目元で微笑んでいるのがわかった。
「たまには自分の顔を鏡を見てろ」。
上司に言われた。笑っていないらしい。仕事を楽しんでいないらしい。
笑えるわけないんだよ。楽しんでいられる余裕なんてない。言われたときには作り笑いをしたが、きっとブサイクな笑顔だった。
隣に立つ女性は美人だった。きれいな人だなぁと思って眺めていたら、一瞬目が合ってしまった。気まずい。すぐに逆方向に顔を向けた。
そちらには髪の薄い疲れ切った男性が、僕と同じように吊り革の手すりにつかまっていた。あまり気持ちのいい景色ではない。目を逸らす。再び正面を向く。
自分の目と目があった。やってみようと思って、マスクの下で、お姉さんみたいに笑ってみた。
まるで、乾いたせんべいみたいにスカスカな表情になった。笑顔とは言えない。それでも一瞬だけ、ちょっとだけ、心が温かくなったのを感じた。
「鏡の前で1分間ファイティングポーズをしろ」。誰かが昔そう言っていた。
話を聞き終わって、風呂に入ろうとして洗面所に寄ったときに実際にやってみたんだった。が、なんだか気持ち悪くてすぐやめたのを思い出す。
ツライときには、ツライままでいいのかもしれない。
電車を降りた。その足で昔通っていた心療内科へ向かう。けれど、やってなかった。場所は変わっていないが、どうやら先生が変わったらしい。病院の名前も違うものになっていた。
診療時間は最終17時とある。仕事のある日は間に合わない。諦めて帰ろうとするが、せっかくだからと駅前のアトレをふらついた。
「いいかも」と思った服があったけれど、憂鬱だったので試着できなかった。手に取る、という行為ができない。
今日はもう何もできないな、もう帰ろう。イヤホンをし、再び駅のホームへ降り立った。
俯いてちゃ 将来なんてみえない
ホームタウン/ASIAN KUNG-FU GENERATION
俯くのはやめよう。ファイティングポーズはできなくても、俯かないで前を見ていよう。それならなんとかできそうだった。
電車に乗り込む。窓ガラスに顔が反射する。
もう一度笑ってみた。
相変わらずスカスカな作り笑いだったが、さっきよりかはマシな気がした。
(追記)
今は勤めていた会社をやめてしまい、そのおかげで17時で診療が終わってしまう心療内科にも通えています。