生きる意味を知りたい、と考えてしまうのは、自分が弱いからだと思う。強ければ、そんなことを考えたりしないはずだ。
日常生活でツラさや苦しさを感じるから、どこからそれがやってくるのか知りたくなるし、そんなツラさが満ちているこの日常生活、ひいては人生にはいったい何の意味があるのか、と考えてしまう。
そのツラさや苦しさの根っこには弱さがあると考えれば、その弱さをどうにかして鍛え上げ、強くなりたいと願う。けれど、この新聞記事を読むとどうやら違うのかもしれない、とも思えてくる。
弱さとは、傷つく可能性に自分を開き続けること。そんな話が語られていた。
傷つくかもしれないとわかっておきながら、なお立ち向かっていくそのさまは、むしろ人生を正面から見据えた勇気ある姿勢なのかもしれない。それはもう強さといってもいいはずだ。
そして強ければ、きっと何でも他人や環境のせいにしたり、周囲に迷惑をかけていても気がつかないのではないか。僕はそんな人間にはなりたくない。だから、弱くてもいいのかもしれない。
弱いから、生きる意味を問いたくなる。けれど、そのまま生きていくことはきっと強いことの証なのだ。