他人に合わせるのをやめたい。
そればっかりだ。学生のときからずっと。
学生時代はそれでよかった。社会に出ても、環境によってはそのままでもよかったのかもしれない。けれど、僕はツラくてしかたがない。
人に合わせる。求められる役割を知る。目標の人物を見定める。そういうのは得意だし、学校教育ではそういった「自分ではない誰かのマネをする」ことを重視している。
テストの点数、部活動の成績。これという目標があり、そこに近づくための訓練ばかりだったように感じる。
でも、生きることはそれとはある意味正反対の行いだ。
自分が生きるしかない。自分で自分の人生を生きていく以外の道はない。
自分で何か「これ!」という目標があり、そのための道中として人のマネをし習得することは良いことだと思う。だが目標そのものがない場合、それはただ人の後ろをついて歩いているだけではないか。
社会人になってそろそろ10年になってしまうが、これまでそうやって誰かの後ろを歩いていただけだったと知った。
そういう生き方を、やめたい。
学習したり、習得するのは得意だ。でも矛先がない。だから宝の持ち腐れなのかもしれない。せいぜい趣味では活かされるだろうけれど。
仕事となると、やってもやらなくてもいい趣味とはワケが違う。安易に変えられないし、責任もある。
合わせるのが得意といったって、それは周囲の環境に依存してしまう。いい人に当たれば良いし、いい目標が定まれば問題ない。だがそうでない場合、ただついていくだけしか能がない人間には苦しい。
正社員がいいっていうのも、しょせん社会から自分がどう見られるかを意識しているに過ぎない(僕の場合は)。自分なりの正社員でなれければならない理由などない。言ってしまえば「なんとなく」なんだ。
もちろん正社員と非正規ではいろいろと現実的な違いがある。何も考えず非正規を選ぶのは危険かもしれないが、正社員に固執するのも同じように危険なのかもしれない。
完全にお手上げの状態だ。
これが、他人だったらいいのに。自分を他人のように、親友のように扱うことができればいいのに。
でもそうもいかない。親友であったって、彼の職場でのストレスは知りようがない。けれども自分であればそれもわかる。
そういう違いがあるのだから、自分を親友のように接することにはムリがある。でも考え方としては間違っていないと思う。
街を歩いていると、前をオジサンが横切ったりする。そのたびに僕は、自分がオジサンになれるかを想像してしまう。
その歳まで生きているのか。もし生きているのだとしたら、どのようにして結果的に生きていられたのか。それが猛烈に知りたくなってしまう。
不安だから。
30歳で、他人に合わせる生き方をやめたのだろうか。70歳くらいの僕がいるなら、どのようにしてこれを乗り越えたのかインタビューしたい。