3年ブログ

3年間続けようと思い、現在8年目になりました。ネコ派ですが、最近ゴールデンレトリバーが可愛いくてしかたないです。

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弱くあるという強さ

 

長野県で畑仕事をしていたとき。東屋には野菜の包装用として新聞紙が保管されていた。

 

あるとき1人で作業をしていて、東屋で休憩していると、ふと新聞を開いてみたくなった。パラパラとめくっていくと、一つの文章に巡り合った。

 

 

いろんなつらい出来事にあって、それでも生き延びてきた、という意味では、レジリエンスのひとつの形ではある。ただ、そのために失った素直さや、優しさ、人間的魅力は、その人から、人生の味わいをも奪ってしまう。

 

そう語るのは、精神科医であり一橋大教授の宮地尚子さんだ。

彼女は続けて次のように話す。

 

人生の味わいというのは、裏切られる可能性があっても、人を信じてみる力、つまり「傷つきやすさ」からくるのかもしれない。

(中略)

「傷つきやすさ」とは、より正確に言えば、「傷つく可能性に自分を開き続ける力」であり、それは弱さであるが、強さでもある。

 

これを読んだとき思わずハッとした。強ければ良いわけじゃないんだ、弱さという強さもあるのだな、と。

手でその記事だけ破き、畳んでポケットに入れて仕事終わりに持ち帰った。もう2年前の出来事になるが、今もこうして手元に残してある。

 

当時の新聞記事

 

弱さを「弱さ」のままにして生き続けるというのは、ある意味ではとても強いことなのかもしれない。

そして弱さを、優しさや素直さなどを犠牲にして強くしたとしたら、それはほんとうの強さではないのかもしれない。

弱いとはなんだろう。強いとはなんだろう。

 

宮地さんは文章の最後で、「だまされてみる、翻弄されてみることを、いつまでも恐れずにいたい」と語っている。

可能性に向けて自らをオープンに保つこと。これこそほんとうの強さではないのか。

 

その強さは、日常生活ではなかなか強さとして発揮されないかもしれない。だからつらいし弱いのだ。でも人生の大切な時期であったり、非日常的な緊急時などでは強さとして発揮されるであろう。

 

弱くあるという強さがあるならば、弱いままでもいいのかもしれない。

そう思った。

 

 

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