パンチのある1冊でした。
『どうせ死ぬ この世は遊び 人は皆』の感想です。
ザックリした感想
遊びが本当はどうでもいいことだったからこそ、気楽に楽しめたように、この人生も本当はどうでもいいこと、死ぬまでの暇つぶしであることに気付けば、気楽に楽しめるはずです。
(中略)
この世の遊びなど、上手くできなくても、所詮死ぬだけ、勝っても負けても最後は皆が平等に死んで終わりです。気楽に楽しめばよいのです。
この本の著者はイスラム教徒の方なので、自分の感覚とは少し違うところも多々ありました。それがフレッシュに感じたりする一方で、ちょっと違うように思える部分もあり。普段とはわずかに離れた地点から吹く風を取り入れたいような気分なら、なかなかおもしろい一冊になると思います。
いちばんおもしろかった話
僕がこの本を読んでいていちばんおもしろいと感じたのは、「老人は貧乏な学生を家庭教師として雇え」という話。
今の世の中でたびたび話題になるのがこの「学び直し」というキーワード。著者は、特に老人の学び直しには否定的な考えを持っています。
「定年退職後に学び直しとか自分磨きと称して新しいことを始めたって、誰のためにもならないどころか迷惑でしかない」だとか「老い先短い老人が何かを学んだって、知識を地獄に持っていくことになるのが関の山だ」といった具合。
まぁこのあたり、けっこう文章が荒れていました。(笑)
僕がおもしろいと思ったのは、その後に続いて「それでも何かを学びたいと思っているなら、若くて貧しい学生を家庭教師として雇うのがよいであろう」という話。
その人にお金を渡して教えてもらう。教える側の若い人は教えることで自分の学びにもなるし、お金ももらえるしで一石二鳥です。老人からしてもすぐにできる社会貢献になります。
これを読んだとき、オードリー若林氏の体験談を思い出した。
彼は、東大院生の学生さんを家庭教師として雇い、その人から歴史や社会の構造について教わっていたことがある、と話していた。たしかエッセイに書かれていたか、ラジオでそう喋っていたと思う。
そもそも、学ぶことが楽しい。本やビデオで学ぶよりも、やっぱり人から直接のほうがよい。その方が刺激的で、質疑応答もリアルタイムにできて都合がいい。
僕が老人になったらそういう生涯学習のやり方を則ろうかな。
さいごに
イスラム教徒の著者ですので、教えの話にちょいちょい登場します。その中でなかなか印象深かった「手足の話」だけ紹介して終わろうと思います。
イスラム教では、すべては神様のものであると考えるといい、次のように語ります。
例えば「私の手」とか「私の足」とか皆さんは言うと思いますが、これらはすべて神様が作ったものであり、神様からもらったものと考えるのが基本です。だから私に手があるのも神様が決めたことで、仮に生まれながらにして手がなかったらそれは神様が決めたことです。当然障害があったり、貧しい生活を送っていたりしても、それも神様が決めたことなので、その事実を特に恥じるようなことはしません。
そういう考え方は僕の中にはありませんでした。物事って本当に捉え方次第だなぁと思いました。
こんな考え方があるんだな~、という気付きもまた、他者の語りから得ることができます。本もいいし、直接話を聞くでもいい。学ぶことは楽しいことなので、楽しみ続けていこうと思っています。
ではまた。