(ちょっと憂鬱な日記です)
疲れている。
30〜50歳くらいの人たち合計15人くらいで、正社員になるための就職プログラムを受けている。
掴みどころがない日記
世間にはいろんな人がいるんだなぁと肌で感じることができて、個人的にはとても価値ある時間が過ごせていると思う。
転職経験が10回以上あったり、派遣や契約社員での経験が長かったり。
自分の知っている世界がグイグイと広げられる瞬間が多いぶん、それだけ疲れが溜まってしまう。
けれど、それだけでもない気がしている。
♢
最近、この世の中は本当に汚いと感じることが多い。
ATMに行くと、「振り込み詐欺の防止の為〜」と音声が出る。
人を騙して金を巻き上げようとする人がいるからだ。
お祭りの取材にやってきたカメラマンが、突如悪意のある人たちに囲まれ暴行を受けるというニュースを見た。
仕事に使うカメラは壊されたという。
不誠実な人間がたくさんいる。誰かに利用され誰かを踏み台にする。
理不尽さというか、闇の部分に触れると敏感に感じてしまう。
たぶん、再就職を前に社会へ出ることに対して怯んでいるんだと思う。
もともと恐怖心や警戒心も強いが、それが余計に高まっているのだと分析してみたりもするが、それで落ち着くレベルではない。
そういう社会がいけない、悪いのだ、というのはおかしな意見ではない。
けれど、自分の中に「社会はこうあるべきだ」という価値観があり、それによって苦しんでいるだけなのだと認識する。
心のなかで、自らがつくった毒によって自らが侵され疲弊している、という構図に気がつく。
あぁ、自分はバカだなぁと感じてしまう。
♢
毎日電車に乗る。
今日も、飛び込んだら一瞬でラクになれる、と自然に考えてたことが驚く。
実際には飛び込みはしない。
ただ、それを考えてしまうという事実に加え、考えた内容について否定的に思えないことに再び驚く。
心臓は止まらない。
それは、この身体と命は意思によって稼働しているわけではないからだ。
意思、とくに人間の自由意思というのは、生き続けようとする本能に付随して存在する。
いわば、自由意思は本来はオマケであるはずなのだ。
それなのに、人間はそのオマケがあたかも主役みたいに出しゃばってくる。
そのオマケ程度の意思が好き勝手に騒いだ結果、極端な選択を引き起こす。
本末転倒もいいところだ。
自分でもそう思う。
♢
生きるってなんなのだろう。
心理学の本を読んでも小説を読んでも、映画を見てもアニメを見ても、人の話を聞いても勉強をしても、わからない。
疑問がより大きくなっていく。まるで雪だるまみたいに、転がせば転がすほどに巨大化していく。
けれど転がさずにはいられない。無視し、溶けてなくなるまで放置することはできない。
それは僕の中で転がり続け、大きくなり続ける。
さいごに
そういえば、就職プログラムでご一緒した人が、こんなことを言ってくれた。
話を聞いていると、あなたはすでに結論が決まっていて、そこに向けてルートを描くというのは苦手なようね。「人生は一度きりだから楽しく生きよう」という先輩の言葉を素直に受け止められないのは、それが理由じゃない?
あなたは逆の人なのよ。物事のスタートを大切にしていて、そこからの過程や流れ、ストーリー性を重視してる。
そうだ。
僕は結論や目標を決定し固定し、そうなるためのルートを描くことはできないんだよ。
巨大化する雪だるまを一瞬で消すことはできないの。なかったことにはできない。
その代わり、なぜ大きくなるのか、そしてなぜ雪だるまが発生したのかが知りたい。