サブブログでも書いたけど、夢の話をしようと思う。
今朝の夢。3つみた。
どれも鮮明だったから夜になった今でも覚えている。
1つ目。
どこかの大学で、中庭があって階数もあるのだけれど、出口がない。教室移動をしていた学生さんに聞くが、それでもよくわからない。上階へ昇ると運動場があり、ソフトボールとかバスケットボールをやっている人たちがいる。それをむきだしの鉄骨から眺めるが、外には出られない。見つからない出口を求めて建物内をさまよった。
2つ目。
これも学校。高校生くらいだった。運動会か文化祭が終わって、そのお疲れさま会をやるのだが、自分だけ遅れて会場に向かう。遅れて到着するが、だれも自分には関わろうとしない。まるでそこにいないかのように振る舞わられる。自分だけ戸惑う。
3つ目。
バスに乗っていて、すごく狭い道幅の道路をくねくね曲がっていく夢。道路の脇は穴になっていて、落下してしまう。
どれも全然いい夢じゃない。というか、気持ちのいい夢なんてほとんどみたことがない。
今朝みた夢は、社会人になってからよくみる夢のパターンだった。
何かを探すのだけれどみつからない。そういう内容。
目的地にたどり着けないとか、目的地そのものがないとか。探しものをしている夢もよくみる。
そして共通するのは、周囲に人がいるということ。周りにいる人たちはそれぞれどこかへ向かっているのに、自分だけが違う。
探しものをしているときには人がいないこともある。だれもいない場所で、何かを見つけようと必死になる。でも毎回見つからない。
学生時代にはまた別の夢のパターンだった。何かから逃げる夢。かくれんぼしていたりとか、殺し屋や幽霊から逃げる夢。
あのときは親から逃げたかった。親のいる環境を出たくて、就職するときは社宅のある会社にして家を出た。
夢って、そのときの心理をよく示しているように感じる。
今は、仕事や人生の行く先について悩む。だからそんな夢ばかりみるのだと思う。
不思議なのは、夢のなかでは悩んだり死にたくなったりしないということ。なんで夢のなかでは憂鬱にならないのか。やはり生存本能に反する意思は考えすぎによるもので、脳のエラーなのか。
夢のなかくらいは自由に羽ばたきたいのに。この苦しさはいつまで続くのか。
つらさが永遠に続くわけはないと他人はいうが、当事者としては永遠に続くものとして感じられる。そう感じるから永遠にしているのかもしれない。思考は現実化するというやつで。